朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

沖縄旅行(5日目)辺野古

2010年09月13日 04時40分18秒 | 
昨日は名護から辺野古へ。

辺野古も名護市内ではあるのだが、
中心部からはバスで25分程度。
山を越えたところにある。

バス停を降りて海に向かって歩いていく。
問題になっている「辺野古崎」は遠くに眺めるのみ。

【辺野古崎】


【軍管理地との境界】




境界は鉄条網で仕切られているのだが、
そこにメッセージを書いた布が巻きつけられている。
…やはり、沖縄県外の団体のものが多い印象だなあ。







市議選だったのだが、
投票日なので静か。

選挙結果を私はまだ見ていないのだが、
仮に名護市議会選挙で辺野古移転容認派が多数になったところで、
それが住民の声か、というと、疑問に感じた。

辺野古って、名護の市街地からかなり離れているんだな。
中心地の人間からすると、
辺野古に来たところで大して被害はないのではないか。
被害はないまま「雇用機会が確保できる」メリットを享受できる、として
容認するかも知れない。
しかしそれは、「住民がOKを出した」と言えるのかどうか。

「一つの市の総意」で済ませるのではなく、
住民個々に目を向ける必要があるだろう、と感じた。

【キャンプ・シュワブ入り口】



【追記】
辺野古の住民、以前に市単位で移設反対派が多数になったようですね。
名護市議選:移設反対の市長派が勝利 - 毎日jp(毎日新聞)
辺野古の住民の意思はどうだったのか、も気になるところだが。
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沖縄旅行(4日目)那覇から名護へ

2010年09月12日 05時31分52秒 | 
昨日は那覇から名護へ。

直通のバスであれば3時間?程度で行けるものなのだが、
ずっと座っているのも耐えられないし、
見てみたいものもあったので、乗り換えつつ移動することにした。

那覇から東側の経路でコザへ。
那覇とはまた違う雰囲気。
もう少し回れば、いろいろ見えてくるものもありそう。

【コザ】




嘉手納基地の北側を通り、読谷村の楚辺へ。
「象の檻」と呼ばれた通信所のあったところ。
楚辺のバス停で降りたのだが、かなり歩いた。
もう一つ先まで乗っていけば良かった。

今は通信所は移設され、
跡地は公園などになっているようだ。

【象の檻の跡地】




残波岬へ行くのも良いか、と思って読谷のバスターミナルまで行ってみたが、
1日2本程度しかなく、
断念して嘉手納へ引き返す。

嘉手納町や北谷村の綺麗な役場の建物や、
整備された道路・道路沿いの商店などを見ていると、
基地に依存している面はあるだろう、と感じる。

外国人が運転する車も多い。
ただ外車はほとんどない。
日本車が優秀なのか、アメ車に乗っていると目をつけられるからなのか。

【嘉手納】










けっこう待ったが、そこからは名護に直行。
バスから見える海の景色も良かった。
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沖縄旅行(3日目)普天間

2010年09月11日 02時41分48秒 | 
昨日は米軍普天間基地のある宜野湾市へ。
8時前に那覇バスターミナルから、
まず沖縄国際大学に向かうバスに乗り込む。

名護は知っていたのだが、
宜野湾市も12日投票の市議選なんだな。
(参考:沖縄タイムス | 5市議選きょう告示 名護の与野党数焦点 宜野湾は市長選にらむ
選挙カーが回っていた。
節を付けて名前を連呼する候補者なんかもいて、面白い。
基地のことを語らない候補者が多い印象。

【選挙ポスター】


沖縄国際大学は、数年前、米軍のヘリが墜落したところ。
死者は出なかったそうだが、
その際の米軍の秘密主義、
大学の敷地を一時的に占領した対応が非難を浴びていた覚えがある。

今はモニュメントと、その時一部焼けた木が残っている。
校舎は建て直されているようだ。

【ヘリ墜落事故のモニュメント】


説明文を見たのだが、
「基地があること」そのものへの批判は抑えられており、
大学関係者や警察などを締め出した米軍のやり方が
「大学の自治に反する」ことを非難する調子がメインだ、と感じた。

バスで宜野湾市役所へ。
市としての広報のような、「撤去せよ」という明示的に強い声は感じ取れず。
ロビーに「あなたのメッセージ募集」ということで展示があり、
来た人がメッセージを付箋に書いて貼付できるようになっていた。

【メッセージ募集】


このメッセージに一通り目を通したのだが、
住所が書かれているものは東京など、県外の人が多いように見受けられた。
トータルでも半々程度なのでは、という感覚。
宜野湾の市民の声は、あまり発せられていないように思う。
この掲示にしても、「騒音反対」の趣旨であると思うのだが、
それに対して「安保反対」といったメッセージが残されていたりする。
うーん、つながっているとは思うが、ずれていないか?

統計資料などを見て、普天間基地の周りを少し歩いたりする。

【米軍普天間基地】






市域の4分の1の面積を占めるという、広大なエリア。
疲れたので途中でバスに乗り、那覇のホテルに戻った。

米軍機は時々離発着していたようだが、
あまり騒音は気にならなかった。
もっとも選挙期間中であり、
候補者や有権者を刺激したくない、という意図があって
訓練を抑えているのかも知れない。


バスで入って半日程度、
空気を吸い、いろいろ見聞きしただけなのだが、
普天間移設について、明示的に発せられている「絶対撤去」の声は
あまり大きくないのでは、と感じた。
それはモニュメントの説明のトーンであったり、
宜野湾市役所の様子などを見たところから。

シャッターが下りたままの商店など、
街として衰退している部分もあり、
ここで米軍という産業がなくなった場合にどうなるのか、といった
迷いもあるのでは、と想像する。
また、外部の人間にとっては他人事なので怒っていられるが、
内部では基地がある状態が日常であり、
その日常に常時怒っている訳にはいかない、というのもあるだろう。

ただ、あくまでも「明示的に発せられていない」のであって、
沈黙を「OKだ」と判断するのは都合の良い曲解であり、誤りだろう。
顕在化していないということは、
その分根深く、圧力が高まっている可能性がある、とも言える。
ヘリの墜落事故のように、よりシビアな問題が起これば
潜在的な怒りに火が付くことはあると思う。
例えば、「普天間移設」が結局反故にされれば、
「馬鹿にしているのか」と抗議の声が噴出する可能性はあるだろう。

ただ、県外から来た連中の中には、
その声を利用している面があるのではないか?
住民にとっては「騒音」や「生命の危機」への反発・怒りであるのに、
それを己の信条を裏打ちするもの、一つの「手段」として扱う者がいるのでは?

地道に、
「騒音」「安全」「生活」といった具体的な問題から遊離することなく、
教条主義に陥らず、抽象化をせず、
基地の問題点を語り、解決していくべきだろう。
外部から来た人間とは異なり、住んでいる側は撤去後も生活しなければならない訳で。
それを無視した「撤去さえすれば良い」は正しくないし、
結局受け容れられないと思う。
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沖縄旅行(2日目)首里

2010年09月10日 06時36分56秒 | 
昨日は首里へ行ってきた。

朝雨がやむのを少し待ち、モノレールの1日乗車券を買って首里へ。
首里城や玉陵の入場料を割り引いてもらえたので、
ちょうど良かった。

まず首里城に行ったが、
全体的にはあまり満足できるものではなかった。
「世界遺産」ということでか、観光地化している感じ。
「ここは写真撮影可」とか、
「ここで撮って下さいね~」とガイドさんに言われているようで
あまり好きになれない。
北殿の中に土産物屋があるとか。
あと、有名な観光施設の常でうるさいジャリが多く、鬱陶しい。

門や城の造りなど、もう少し細かく見る方が良いのだが、
(仕方ないことではあるが)再建したものでもあり、あまり興に乗らず。
御嶽(ウタキと読むらしい)は興味深かった。

正殿は朱の塗り替え中、ということで一部覆われていた。
少し残念。

【天女橋と弁財天堂】


【守礼門】




【園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門】


【首里森御嶽】


【正殿】


【海が見える】


【龍潭】





首里城公園を出て、龍潭を抜けて玉陵(たまうどぅん)へ。
尚氏の陵墓だが、
首里城とはうって変わって、ほぼ無人。

まず資料館で陵墓の構造や中の写真なども見る。
「東室」「中室」「西室」から成っており、
「中室」に遺体を安置し、その後洗骨して
「東室」(王や王妃がメイン)、「西室」(その他の家族)に安置する、という流れ。
この骨壷も、家をかたどったようなもので、なかなか興味深い。

その後玉陵。
石壁をくぐって石室の建物と対峙すると、
何となく圧倒された。
さして大きな建物でもないのだが、包囲されたような感覚に捉われた。

【資料館から玉陵へ】


【東室部分】


【全体】


個人的には、首里城よりも玉陵の方が良かった。
これで観光客が多いと、イヤになるのかも知れないが。
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沖縄旅行(1日目)(3)平和祈念公園

2010年09月09日 08時24分50秒 | 
ひめゆりの塔から、バスで平和祈念公園へ。
最初の印象として、規模は非常に大きいが、何となく空疎な感じ。

「平和祈念堂」なる建物(正直、これも胡散臭い)の前を通って
「平和祈念資料館」へ。
ひめゆりの塔の「資料館」に比べて、
本土の人間が加害者である側面はソフトに描かれていたように思う。
琉球処分や方言・芸能の禁止などは紹介されているのだが。
戦後の復帰までの歴史の紹介は興味深かった。

資料館を出て公園へ。
海が見えて美しいが、陽気に騒ぐ中国人が鬱陶しい。
ここは騒ぐべき場所ではないのに、と思いながら海に向かって手を合わせる。



沖縄戦で亡くなった方の名が彫られた「平和の礎」の間を抜ける。
その数が物語る。
【平和の礎】











国立墓苑に向かう。
途中に各都道府県の碑があるのだが、どうにも空疎。
梅田地下街の土産物屋を思い出した。
【国立墓苑】



さらに奥へ進む。
濡れた階段を下りて「健児の塔」。
【健児の塔】


ここから、バスで糸満に戻った。

資料館は良いものもあったし、
「平和の礎」に感じるところもあったのだが、
ハコモノが作られている第一印象で、
あまり深い感銘を受けることはできなかったなあ。
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沖縄旅行(1日目)(2)ひめゆりの塔

2010年09月09日 08時23分25秒 | 
喜屋武からバスで「ひめゆりの塔」へ向かう。
ドライブインのようなものが並んでおり、観光地の雰囲気。

「ひめゆり学徒隊」の「悲劇」(こんな一語で片付けるものでもないが)を思うと、
「観光資源」として扱うことに違和感を持った。
そして、そう扱わざるを得ない状況にも。

【ドライブインにて】




少しくらくらしながら「ひめゆりの塔」に手を合わせ、
「平和祈念資料館」へ。
…重い。負うべき重みだが。
「ひめゆり学徒隊」がどのような人だったのか、亡くなり方などが
写真と共に掲示されているのだが、
辛くて全部見ることはできなかった。

解散命令前より、後に亡くなった方が圧倒的に多いことや、
亡くなり方などを見ていると、
アメリカ人に殺された、というより、
日本軍に殺された、と言うべきではないかと感じた。
無論、直接には米軍の火焔放射なりガス弾なりで生命を奪われているケースが多いのだが
(手榴弾での自決、などもある)
その状況に追いやったのは日本軍なのではないか。
日本軍は「無責任」に見えるが、元々別に、沖縄県民を守ることが目的ではない。
「本土」なり「国家体制」を守るのが目的で、
そのために県民を徴用し、邪魔になれば殺したのだろう。
「人は城、人は石垣、人は堀」だったんだな。全く別の意味で。
しかも過去の話でなく、
「本土を守るための捨石」であることは、
今の基地問題にも通底しているのだろう。

広島や長崎の原爆資料館は「被害者」として見ていたのだが、
それとは全く異なる「加害者」の立場で見ていた。

【ひめゆりの塔】


物思いながら、
平和祈念公園に向かった。
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沖縄旅行(1日目)(1)喜屋武岬

2010年09月09日 08時22分42秒 | 
昨日は6時半頃にホテルを出た。
那覇バスターミナルから糸満へ向かう。
市内をぐるっと回るので時間的にはロス。
バスターミナルの向かいにある「旭橋」のバス停から乗れば良かった。
街の様子が分かったので面白かったが。

糸満で南へ向かうバスを待っていると、
タクシーの運転手さんに声を掛けられた。
喜屋武岬までタクシーで。
バス停からかなり距離があったし、1400円だったので結果的に良かった。

【喜屋武岬】





時間が早かったためか、無人。
美しい風景。
ここから飛び込んだ方を想う。

運転手さんに教えてもらった道で、
少し横手の方にも行ってみた。
先の方は、ごつごつした岩に苔が生えていたりする。






喜屋武の集落まで歩いて戻り、
40分ほど待ってバスで「ひめゆりの塔」に向かった。

今回行かなかった具志川城跡も含めて、
また行きたいと思う。
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沖縄旅行(0日目)

2010年09月07日 20時48分57秒 | 
初めて、沖縄へやって来た。

私の旅行は「鉄道」メインなので、
沖縄へ来る機会はあまりない。
今回来て、全都道府県に足を踏み入れた勘定。

今回乗った飛行機
昼過ぎに関空を出て、2時間半程度で那覇空港へ。
視界に自衛隊か米軍かの飛行機が目に入るのが
如何にも沖縄らしいのやも知れぬ。

ゆいレール
モノレールに乗る。「ゆいレール」というらしい。
途中うねうねと。方角が分からなくなる。
比較的古い建物が多いが、
道路や球場など、やけに新しい施設も散見される。
公共事業がメインである一つの現われかも知れない。

県庁前のホテルに荷物を置き、国際通りへ。
国際通り入口のシーサー

少し歩き、軽く飲んで夕食。
どちらかと言えば「外れ」の店だったかな。
ちと高いし。

バスマップも手に入れたし、
時刻を調べて、明日から動いていこう。
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讃岐旅行

2009年09月06日 08時42分02秒 | 
木・金と香川に行ってきた。
主目的は現役部員の合宿打上げに参加すること。

木曜。
朝5時半頃に家を出る。
青春18きっぷの最後の1日分を使って
大阪から姫路、岡山、児島で乗り継いで琴平へ。

琴平から琴電に乗る。
途中の仏生山に車庫があり、旧型車両が留置されていたので一度降りる。

【仏生山の旧型車両】



次の電車で高松築港まで。
長尾線の電車に乗り、そのまま長尾まで。
元々はそのまま引き返す予定にしていたのだが、
志度に行くバスがあることが分かったので、
腹ごしらえをしてそれに乗る。

琴電志度から琴電屋島へ。
以前は屋島に上がるケーブルカーがあったようだが、
それは廃止になっていた。

【ケーブルカーの廃駅】



バスで頂上に上がり、
10分後のバスで戻ってくる。
上からの海も綺麗だったが、途中のドライブウェイから見える景色も良かった。

【屋島から見る瀬戸内海】



琴電屋島から瓦町に出て、とりあえず全線乗った勘定。
ただ屋島や、その近くの八栗など、
屋島の戦い関連の碑などがありそうなので、
また機会があれば来てみたい。

夜は打上げに参加し、そこそこ飲んだ。


金曜。
現役部員の有志が小豆島に行く、ということだったので、
そこに混ぜてもらう。
鉄道のない島に自発的に行くことはないから
ちょうど良い機会。

高松からフェリーで小豆島へ。
胡麻油工場、醤油を魚の形をした容器に詰める工場、醤油工場を見せて頂く。
いずれもなかなか面白い。
予約などをとってくれた後輩に感謝。

小豆島は初めてだったのだが、
けっこう山がちな島だと感じた。
海沿いの集落から集落へ、バスは山道を越えていく。
そこから海が見え、なかなか気分が良い。

フェリーで姫路に抜ける。
ちょうど日沈の時間帯で、
夕日や残照が見事。

【小豆島】


【夕日】







あとは姫路駅前で飲み、新快速で帰りました。
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青春18を浪費する旅(2)

2009年09月02日 06時44分31秒 | 
2日目、月曜。
5時頃鳥取のホテルを出て
米子方面行きのディーゼルに乗る。

途中大山口で下り、駅前のD51を見る。
町が「財政難で無償譲渡する」と報じられていたもの。記事

このD51、単に置いてあるものではなく、
大山口で列車が空襲されたことから
平和を祈念して置かれているものなんやね。
このあたりを踏まえると、
無償譲渡されたとしてもこの場所に残って欲しい。

しかし、このような「平和を祈念する」位置付けでも
230万円が出せないから無償譲渡するしかない、という状況は
「地方の疲弊」の一つの現われだろうな。

【慰霊の碑】


【D51。正面のプレートは外されていた。】





次の米子行きの前に鳥取方面行きの列車が来たので
「名和」という駅に一駅戻る。
駅名からして、南北朝時代に出てくる
名和長年に関わりそうだったので。
ごく小さい無人駅だが、構内に碑が立っていた。

【碑】



高校生で一杯の列車で米子に出る。
快速で鳥取に引き返し、浜坂で乗り換え。
余部鉄橋を渡ったが、まあ、列車の中からはよく分からんな。
山側には架替用の橋脚などが作られていたようだ。

豊岡に着いて、とりあえず今回の「乗りつぶし」の対象は乗車完了。
あとは帰るのみ。
豊岡からの電車は福知山行きだったが、
福知山での接続が悪かったので途中の和田山で乗り換える。
播但線で寺前から姫路、
新快速で大阪には17時過ぎにたどり着いて
今回の旅行は終わり。

これで、中国地方でまだ乗っていないのは、
山口線と、山陰本線の西側。
またそのうち、乗りに行くことにしよう。
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