「酵母モデル」ではあるが、興味深い結果。>時事ドットコム:微小管長く伸び染色体分配=減数分裂の謎解明-早大など jiji.com/jc/zc?k=201306…
喧嘩で両グループから逮捕者が出た、ということか。まあ、これで「ヘイトスピーチ」なる運動がなくなるとも思えないな。>時事ドットコム:「在特会」会長ら8人逮捕=新宿排外デモで暴行容疑-警視庁 jiji.com/jc/zc?k=201306…
大学が「時代に即した役割」を探る、ということは、時代を切り開くのではなく、時代が先に存在している、ということ。それならば新たな発見も、時代を変えるような転換も出来はしない。緩やかに死んでいきたいのだろうな。
結局大学は二極化していくしかないのだろう。学校単位でなく、もしかすると学部単位でもなく。企業や現在の社会に受け入れられ、給料をもらえる人材を作り出す工場(ここは「就職に有利な学校」という出荷高・売上が評価軸)と、企業や現代社会を前提としない大学と。
「サーバント・リーダーシップ」の考え方。「奉仕したい」という生来の感情から生まれる。その上で「リーダーになろう」という意識的な選択をする。奉仕する手段としてリーダーになる、奉仕する対象拡大・深化のためにリーダーになる。
別役実「マッチ売りの少女」の先見性。学生闘争や内ゲバ。早稲田小劇場の「肯定して未来を謳歌できない感情」から芝居を組み立てる方向。現代でもこの方向の芝居は求められている?
多くの新聞の社説を読むと、センター試験は、暗記や知識に偏っているそうだ。センター試験の問題をみたことがないと指摘する以前に、試験というものを考えたことがないのだろう。例えば現代文の試験問題を暗記と知識に偏って作ったらどういう問題になるだろう。漢字と文学史しか作れないだろうに。
「暗記や知識重視でないテスト」って、どんなものを想定している?何十万人レベルが受験する(妥当な採点を含む)共通テストで現実的と思っているのか?そのあたり、まるで「暗記と知識重視のテスト」で良い結果をとるための勉強のみの連中のような、課題設定・解決能力の欠如が見られるなあ。>RT
「ことば」と「意識」と「身体行為」を激しくズラす。鈴木忠志の「本歌どり」という台本構成。ひとつの型なり価値観なりを壊すことが、同時にもう一つの型なり価値観なりをつくること、といったことを目指す。劇作家との衝突。
演劇における俳優の位置付け。「部分」や総和が全体になる「構成要素」、「役割付けられる」ものではなく、俳優それ自体の中に全体性が投影されている。
「しゃがむ」姿勢。欧米的な美意識では「不体裁」とされるが、これを生かすことで日本人の身体と感受性を元にギリシャ悲劇を読み替える。翻訳劇への挑戦。
鈴木メソッド。激しく足踏みすることで、下半身の感覚を鋭くし、足の動きを鍛えることが基本。日本の伝統芸能の演技法が発想の源にある。
ランダム化比較実験による「攻め」。人件費をかけて会議で検討するより、実際に小規模でやってみて、良ければ実施、悪ければ実施しない。
「正解のない意思決定」について、正解がないならばとりあえずランダムに決めてしまう、という「選択肢」。決定をランダムにすること、継続的にデータを採取すること、がポイント。
「座ってるのも、お稽古」。「自分だったら、どうするか」 「自分も同じ短所があるから、次に言われないように直しておこう」といった精神姿勢か。
モチベーションは常時持続できるものではない。低下した時に(自発的に、或いは外部から)回復できる仕組みを作ることが必要。
演劇センター68/69の発表した「コミュニケーション計画・第一番」。五つの柱の内「移動劇場」として「黒テント」がスタート。
「文楽に関する書物は数多く出版されているが、三業[太夫、三味線、人形]にわたる通史のような歴史書はない」とのことで、「初めての通史」と帯にある岩波現代文庫の新刊、倉田喜弘『文楽の歴史』を購入。文庫オリジナル版だそうです。iwanami.co.jp/hensyu/genbun/…
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