きみどりの窓

通りすがりに窓から覗いてみてください。

高島山トンネル開通

2011-04-17 | 散歩
昨日(16日)横浜市内の某所に行っていました。
偶々そこにあったチラシに、高島山トンネルが4月16日13時にオープンする旨の案内がありました。
偶々高島山トンネルの近くにいましたし、「4月16日と言えば今日じゃないか!」ということで、用事が済んでから行ってみることにしました。

さて、この高島山トンネル、実は元々東急東横線のトンネルでした。
2004年の1月30日まで使われていました。
翌31日の地下・横浜駅の使用開始にともない、東白楽~横浜間が地下化され鉄道トンネルとしての使命を終了したわけです。
(みなとみらい線の開通はその翌日の2月1日です。)

その後、東白楽~横浜間の廃線跡は遊歩道として生まれ変わることが決まり、徐々に整備されていました。
そしてこのたび、最後の区間としてこの高島山トンネルを含む区間がこの日オープンすることになったわけです。

写真1. 横浜駅方から見た高島山トンネル入り口

東横線は高架線の状態でトンネルに入っていましたので、遊歩道では坂を上ってトンネルにつながっています。

写真2. トンネルを通行できるのは6時から午後9時半まで

夜間は通行止めでゲートが閉じられるようです。

写真3. トンネルの内部です

遊歩道としては十二分に広いのですが、ここに複線分の線路があったのかと思うとちょっと狭い感じがします。

写真4. 反町側に出ました

このあたりは反町駅の上です。
トンネルからは昔の線路の高さで遊歩道が伸びています。
見えている緑色の屋根は現反町駅の駅舎や換気塔の屋根です。

写真5. 現在の反町駅

遊歩道は上に見える手すりのところです。

写真6. 国道1号線を跨ぐ

かつての橋げたをそのまま使用し、遊歩道は国道1号線を跨いでいます。

写真7. 遊歩道は東白楽まで

国道を渡ると遊歩道は階段(エレベータもあります)で地平レベルに降ります。
かつての東横線は写真の高さで東白楽まで高架線でした。

このトンネル、近隣の人にとってはかなり便利になるのではないでしょうか。

大地震から1ヵ月と2日

2011-04-13 | 書斎
何となくあれからあっと言う間に1ヵ月が過ぎてしまった気がします。
本震級の余震が続き、その余震の余震も続いています。
今さらながらこれまで経験したことのない大地震であったことをひしひしと実感しています。

がらっと話題が変わりますが、3月の初め頃に老眼鏡(遠近両用)を、生まれて初めて作りました。
眼鏡屋に行き、検眼して作成を依頼しました。
そしてそのメガネの出来上がり予定日があの地震の2日後だったのです。
そして私は予定日にのこのことメガネを受け取りに行ったのでした。
まだ「ガソリンが手に入らない!」と騒がれる前だったので、のん気にクルマで。

そんなわけで、そのメガネの使用を開始して1ヵ月経過したのが今日、というわけです。

私が買ったのは、和真の全視界眼鏡というものです。
中学生の時に初めてメガネ(近視用)を作ったのが友人の紹介で和真だったので、和真には親近感がありました。
そして今回は約30年ぶりに和真で作ることにしたのは、同社の「全視界眼鏡」に興味があったからなのです。

TVCMで見たこともあると思いますが、「全視界眼鏡」というのは遠近両用で、フレームが6mm上下できるというものです。
その仕組みは実に単純なもので、そのポイントは鼻当てにありました。

鼻当てにスライドできるように溝が掘ってあります。
そのスライドを取り付けシューがスライドするわけです。
そのままでは勝手に上下してしまいますので、ストッパーとして磁石が内蔵されているのです。
この鼻当ては、そのまま普通のメガネにも移植できてしまいます。
つまりフレームそのものには特殊な加工はされていません。
単純なしくみながら、汎用性もあるわけでなかなかのものです。

下の写真を見比べてみてください。

写真1. 標準の位置


写真2. フレームを上げた位置


ここ数年「(老眼鏡を)作らなきゃなあ」と思いつつ、老眼を自覚し始めて10年近く経過してようやく老眼鏡を手にしたわけです。
作るにあたっては「遠近両用は使いにくいよ」という知人のアドバイスを受け、老眼(専用)鏡を作るつもりでした。
その方針が翻ったのは、同僚と2月に横浜中華街で食事をした時のこと。(この時です

そのとき同僚の奥様も同席していたのですが、その奥様が「私は遠近両用を使っているけど、慣れたら便利ですよ」との一言。
さらに「作るのだったら早い方が良い」とのアドバイスも。
それで心は決まりました。

そして今回のタイトルの意味。
できたメガネを受け取ったとき、「慣れるのには1カ月程度」というお店の人の言葉。
確かに初めのうちは、慣れずに数時間すると目が疲れましたが、今は目が疲れるということも意識しなくなりました。
そして気がついたら1カ月経っていた、ということです。

アドバイスくださったUさんの奥様、ありがとうございました。
私としては、遠近両用にして良かったと思っています。
違和感なく使えていますよ。




第三京浜の羽沢から出てみました

2011-04-09 | 散歩
当ブログで何度か工事中の様子をお伝えしてきた第三京浜下り線の羽沢出口が3月29日に供用されました。
2011-03-10:羽沢出口、3月29日供用!!

特に開通式があったわけでもなく(地震に関係なく予定されていなかった)、ひっそりとした供用だったようです。

というわけで、出かけたついでに寄って(通って)みました。

写真1. 新設された案内板

当然ですが、案内板も新たに設置されていました。
羽沢出口は既存の保土ヶ谷料金所の先にできました。

写真2. 色分けされている出口レーン

羽沢出口に向かうレーンは色分けされています。
これで羽沢で出る車も、本線をそのまま進む車も混乱せずにすみます。

写真3. 出口ゲートは2つ

羽沢出口専用ゲートです。
新たに設置されたものではなく、既存のゲートを専用化したものです。
1つはETC専用レーンです。

写真4. 右には保土ヶ谷パーキング

保土ヶ谷パーキングには入れません。
保土ヶ谷パーキングに行ってからは羽沢では出られません。

写真5. 直進と右折は別車線


写真6. 左折はできません

実はこの交差点を左折すると羽沢貨物駅に行けるのですが、標識を良く見ると左折はできません。
羽沢貨物駅に行くにはここを直進し、その先の交差点(環状2号線)を左折です。

写真7. 交差点の俯瞰

この写真は1年前のものです。
左上が羽沢出口からの道路、上で説明した羽沢貨物駅への道は写真上に向かいます。
これでは大型車の左折は厳しそうですね。

ちなみに通行料金ですが、料金所は保土ヶ谷料金所で変わりはありませんから、料金も「羽沢出口料金」は設定されていません。


新学期

2011-04-05 | 縁側
震災のために自粛していたわけではないのですが、気がついたら4月になっていました。

4月は新学期ですね。

我が家では二男がこの春から高校生になります。
明日が入学式なのですが、いろいろ学校に提出する書類を書いたりとバタバタしています。

下の写真はそんな書類のひとつです。
特に変わったところもない「生徒個人記録表」ですが、記入しようとしていた妻が「ええ~?」と奇声を挙げました。

なぜでしょうか?

写真1. どこかが「?」なんです


気がつきましたか?
生年月日の記入欄を見てください。
ちなみに二男の生年は「平成7年」です。
今春の高校1年生は平成7年か8年生まれがほとんどです。
でも、記入欄は「昭和」だけ。
書類の表題のところの入学年のところ、出身中学の卒業年のところはちゃんと「平成」になっているのに・・・。

妻は一瞬、「保護者の欄かと思った」とのこと。
平成7年だと昭和でいうと70年か?
と突っ込みを入れつつ、せっせと書類を用意してました。

春はいろいろなことが新しくなります。
長男は大学の2年、三男は小学校6年生になりました。
私の職場でも人事異動がありました。
私は仕事も肩書も何も変わらないのですが、所属する部署名だけが変わりました。
1ヵ月前に名刺を増し刷りしたばかりなのに・・・。

ということで、ブログ再始動です。
今後ともよろしくお願いたします。