欄干が残されています
橋は明治45年に完成していました
堀川通り 御池通り 五条通りは 幅の広い道路ですが
これは、戦争中の建物疎開によって出来たのです
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江戸時代の茶人 金森宗和の墓所、剣道 示現流 開祖 善行和尚 の墓所
天候が晴れで空気が澄んでいないと素晴らしい映像は出来ません
観音堂
天明の大火の焼け跡が残る
本堂は塀の向こう カヤは本堂の手前にあります
稲荷大神
明智光秀公 報恩塔 ➡ 明智光秀の首塚
九重の塔
鐘楼
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賀茂川堤の桜は京都府師範学校教職員・生徒,同附属小学校児童による
植樹に始まる。
百周年記念誌編纂委員会編
『京都教育大学教育学部附属京都小学校百周年記念誌』(1981年記念事業委刊)
によれば,
明治38(1905)年6月に日露戦勝を記念し賀茂川葵橋より御園橋に至る
両岸の堤防に桜楓を植えることが職員会議で発議された。
教職員・生徒・児童の醵金と労力奉仕により,同年11月22日に
桜樹2279本・楓樹735本の植付けを完了し,
12月2日に桜楓樹植栽植付完了記念式が挙行された。
この碑はその植樹事業を記念するものである。
上掲書には碑文冒頭「甲辰之歳征露役起」の「征」字は人材育成という建碑の趣旨にかなわないので削除したと記す。しかし現状は下の碑文に示すように読むことができる。ただ,他の文字と比べ彫りが浅く,何らかの加工が施されているようである。
甲辰之歳征露役起戦連両
年我武維揚因植桜楓数千
株於鳧堤以為記念亦以寓
育英之意焉耳
明治卅八年乙巳冬十一
京都府師範黌職生員建
参考 ⇔ 京都フィールドミュージアム