アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

高瀬川の源流から木屋町へ

2015年06月26日 09時39分02秒 | 史跡・旧跡

鴨川から水を支流のようにして取り入れています

向こうの橋のすぐ下流にある 堰堤の左側が取水口

 

ここらでは、鴨川よりも上を川が流れています  高瀬川 源流です

 

 

今度は 上流を見ていたのと反対に下流を見ています  

 鴨川本流の右側を流れていますが 途中から 90度 右折します

 

途中で せき止められて 流れが 右になっているのが わかるでしょうか

 

 

木屋町通りまで 流れが来ると

 

大阪からの物資を運ぶ 水運を造りました

 


御室八十八ケ所  お堂の天井画 37番札所

2015年06月26日 08時16分23秒 | 御室八十八ケ所

 

 第37番 札所です

 

 

 

 

41番の天井画と比べて鮮明に残っているので 1枚1枚の映像は 割愛します

 

 

奉納額  京都市内各地からの住所が書かれています・上段

 

 

京都川勝寺 支部  と記されています

京都市右京区西京極にはかつて川勝寺とよばれる寺があり、

近隣には「秦河勝終焉之地」の碑がある。

この地域は明治の初めまで川勝寺村(せんじょうじむら)と呼ばれ、

住民の多くは自らを河勝の子孫と認識していた

関連記事 ➡ 41番札所

  


木戸孝允 ここで亡くなる、明治天皇も見舞いに訪れる

2015年06月26日 00時13分30秒 | 史跡・旧跡

 

 

維新の指導的政治家であった木戸孝允(1833~77)は明治政府高官となり,

鴨川畔の近衛家邸を買い取り京都別邸とした。

明治10(1877年)5月19日,京都別邸で危篤に陥った木戸を

京都滞在中の明治天皇が見舞いに訪れたが,

木戸は同月26日に死去。

この邸には孝允没後その子忠太郎が住み,

昭和18(1943)年京都市に寄贈され,

敷地南端部分に孝允が没した木造二階建て家屋が残る。

 

 

 関連記事 ➡ 各所にあります 明治天皇 行幸地 など

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