アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

愛宕山 山頂から京の市街地を見る

2015年06月17日 21時29分06秒 | 愛宕山

社務所前の広場から 市街地を見ましたが 今日は かすんでいます

 

中央の 四角い森が 京都御苑です

 

 

 


堀川天皇 里内裏 址

2015年06月17日 18時39分27秒 | 石碑

 

 

平安京左京三条二坊九町から十町にかけてあった

藤原基経(836~891)邸を堀河院(堀川殿)といい,

関白藤原兼通(925~977)によって改修され,

円融天皇(959~91)の時初めての里内裏となった。

以後白河(1053~1129)・堀河(1079~1107)・鳥羽(1103~56)天皇の里内裏となった。とりわけ堀河天皇は当院を愛用し,ここで成長,受禅,崩御した。

平安京における名邸の一つとして知られたが,

保安年間(1120~23)の焼失後廃絶。

 

 


勤王画家 森寛斎 宅蹟

2015年06月17日 17時37分07秒 | 石碑

森寛斎(1814~94)は,長州出身の画家。

森徹山(1775~1841)に師事し円山派の画法を学ぶ一方で

討幕運動にも参加した。

維新後は京都画壇の研究団体如雲社の経営に努め,

画壇の復興に寄与し,この地で没した。

この石標はその邸宅跡を示すもので,

寛斎に師事した山元春挙等の寄附で建立されたものである

 

教育の大変革をめざした人達

幕末の「寄合」

幕末動乱の真最中、下京の画家、森寛斎宅へ集まった

幸野楳嶺・西谷良圃・熊谷直行・遠藤茂平らは寺子屋教育の近代化を議論していた。

彼等は新しい時代が到来することを予測し、

長州藩士、広沢真臣(さねおみ)を助言者として迎え、

異国の教育を福沢諭吉の「西洋事情」によって学んだ。

 

西谷良圃は奉行所に「口上書」を三度提出したが、幕府はこれを顧みず維新を迎えた。

富小路五条の本覚寺境内にある良圃の墓碑には、

「今や君、徳未だ顧れずして既に亡し。抑も天か命か。

嗚呼哀しいかな。友人 森寛斎撰す」とある。

 

 


薬師院  黄檗宗

2015年06月17日 00時17分09秒 | 寺院

標柱は 明治 ●2年10月建立

 

 

岐阜県で創建されたが 織田信長が 京都のこの地に移転させた

蛤御門の変で焼亡

 

御利益は  病気治癒

京都十二薬師霊場 第九番

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本堂の扁額

 

本尊 ポスターで

 

本堂

 

本堂 裏から

 

慶応元年の建立です                 これは写真です

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       京の通称寺  39ヶ寺

         、織田信長ゆかりの地 

          薬祖神祠

 

川柳

 

指一本 スマホとオレを つかう妻  /高橋

 

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