kosakuの雑念

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知的好奇心を満足させるために

2009-03-20 00:49:22 | 日記
「本を読む本」(アドラー、講談社学術文庫)を再読。

 
”良い本は読者にとって難解である。むずかしいくらいの本でなくては、読者にとって良い本とは言えない。”(56ページ)

 というような表現にもあるように、何度も読むに値する難しい本をどう噛み砕くか、そのために身に付けるべき技術の本である。ただ、再読に値する本というのをどうやって見分けていくのかについては、割とそっけない。

 ”再読の必要がないということは、本を読んでいるときの感じでわかるものだ。その本を読むことによって精神が向上し、理解が深まることにつれて、その本から吸収するものはもうないということが、勘でわかるのである。”(251ページ)

 感じはつかめるけど、もうちょっと話を広げて欲しいと思う。


で、「あなたもいままでの10倍速く本が読める」(シーリー、フォレスト出版)でも出てきた、シントピカル読書(シントピック・リーディング)についての部分は、

”シントピカルに読むということは、一冊ではなく、一つの主題について何冊もの本を相互に関連付づけてよむことである。(中略)熟達した読者は読んだ本を手がかりにして「それらの本にはっきりとは書かれていない」主題を、自分で発見し、分析することもできるようになるはずである。”(31ページ)。

 いっぽう、「10倍速く」では、

”優秀な読み手は、ひとつのテーマについてさまざまな側面を理解し、そこから自分なりの結論を導き出します。シントピック・リーディングを行うことで、あなたの結論は、他人の受け売りではなく、自分独自の意見になります。なぜなら、シントピック・リーディングを通して多くの考え方に触れることで、そこから自分の納得するものを選んだり、また自分なりの新たな見解を導き出すことができるからです。”(207ページ)。

 表現が冗長なのは置いておくとして、似ているけど、ちょっと違うような気がする。

 「本を読む本」は自分の頭でものを考えるようになる方法を伝えるのが目的で、「競争に勝つため」とか、「人と差をつけろ」とか、「これを知らないと損」というようなスタンスでもない。ある種のゲームに勝つというような意味ではなく、より自分を高次なものにしたいという願望に訴えるものがあるのだが、「10倍速く」のほうは、「これで学校の成績が上がった」のたぐいの成功事例がうっとうしいほど出てくる。こいつらを削って、あと横文字の表記も減らせば、いいのになあと思った。