「函館に行くなら、ココとココとココは必ず行きなさい!」と
ロシア女性S先生に命じられるまでもなく、行ってきました函館ロシア巡り。
まずは市電・バスの共通乗車券を購入し、函館駅前から市電に乗って
一気に終点「函館どつく前駅」へ。「どつく」って何を?
どん突きのこと?と思っていたら「ドック(埠頭)」のことでした。
第一町ニャン発見。
このあとも雪のなかを歩く猫さんに遭遇。函館は猫多し。
ここはもう漁港の近く。坂をのぼれば海を見下ろす高台に
ロシア人墓地を含む外国人墓地があるはずなのだが、
朝から吹雪いているので、墓地をうろつくのは断念し、
一路、旧ロシア領事館を目指す。
このあたりにはお寺も多い。そのひとつ、実行寺。
日露修好条約に基づき、安政5年(1858年)、
ロシアからゴシュケーヴィチ一行が来日し、
最初に領事館を置いたのがこのお寺。
ロシア正教を日本に最初に広めたニコライ神父は、
一時ここで日本語を学んでいたという(S先生談)。
そのすぐ先、幸坂の途中にあるのが旧ロシア領事館。
レンガ造り2階建て。設計はドイツ人建築家R.ゼ―ル。
現在は内部見学不可。外からしか伺い知れないが、趣ある佇まい。
函館はとにかく火事の多い街だそうで、ロシア領事館も
一度は現在のハリストス正教会敷地内に建てられたものの、
隣にあった英国領事館の火災によって被災。
明治36年(1903年)に現在地に建設が始まるが、
日露戦争によって中断し、明治39年にやっと完成。
…と思えばまたまた火事に遭い、現在の姿になったのは
明治41年(1908年)のことだそう。
その後、ロシア革命が起こり、大正14年(1925年)から
昭和19年(1944年)までは、ソ連領事館として、
昭和39年(1964年)から平成8年(1996年)までは、
函館市の研修宿泊施設「青年の家」として、
長きにわたって使用されてきたが、現在は史跡として残るだけ。
再利用も検討されているようだが、中心地から離れているので
ちょっと難しいだろうなー。
雪道を踏みしめてさらに先に進むと、八幡坂の上に…。
ロシア極東連邦総合大学函館校。
日本で唯一のロシアの大学の分校で、本校はウラジオストク。
2年制のロシア語科と4年制のロシア地域学科があるのだそう。
八幡坂を振り返れば、海が広がるナイスビュー。
懐かしのチャーミーグリーン夫婦のCMロケ地がここだそう。
この日は日曜。目指す教会群のミサが終わるのを待つ間、
北方民族資料館を訪ねたところ…。
アイヌ民族同様に、熊送りの風習をもつ少数民族の分布図。
シベリア、極東地方、カムチャッカ、カラフトなど…。
北方ユーラシアの民族衣装も展示。
そして午後、いよいよ函館教会群のひとつ、函館ハリストス正教会へ。
万延元年(1860年)、ゴシュケーヴィチは領事館と共に聖堂を建設。
翌年の文久元年、領事館付き司祭として来日したのが、
前述のニコライ神父である。
東京神田のニコライ堂を築いたのは、もちろんこの方。
教会見学のあたりから、空に晴れ間が見え始める。
現在の聖堂は、大正5年(1916年)建立の二代目。
ロシア風ビザンチン様式の建物は、国の重要文化財指定。
高らかに鳴り響く鐘の音ゆえに、昔から「ガンガン寺」と呼ばれ、
現在は「日本の音風景百選」にも選ばれているそう。
ニコライ堂のような荘厳壮麗な雰囲気をイメージしていたが、
想像していたより小ぢんまりとして可愛らしい聖堂。
この小さな教会を拠点にして、ニコライがたったひとりで、
日本各地にロシア正教を広めていったかと思うと感慨深い。
残念ながら、山下りんのイコン画が飾られた内部は撮影禁止。
ついでながら、このお隣は、英国聖公会の聖ヨハネ教会。
さらにお向かいには、カトリック元町教会がある。
聖公会、カトリック、ロシア正教ともに
個人的に縁のある三宗派なので、等しく参拝。
左からカトリック教会、聖公会の建物外観、その内部。
開国と共に、日本布教に乗り出したキリスト教の各宗派。
ニコライは、日本を知るためにまず語学や文化を学び、
聖公会の司祭とも度々日本情報を交わし合っていたのだとか。
ライバル会社の駐在員と連携をとりつつ、海外市場を開拓した
かつての炎熱商人たちの姿ともダブるものあり。
あ、また猫発見!
あっという間に夕刻。なにせ冬の北海道は午後4時半には真っ暗。
かの有名な函館山からの夜景がこちら。
教会群もライトアップされて美しい。
函館山へのロープウェイは、中国や韓国からの観光客でぎゅう詰め。
人々はピストン輸送で麓から運ばれてきては展望台に放たれ、
スマホで夜景を撮り終えるや、寒さに震えて土産物屋に退散していく。
土産物屋をパスして直行したのが、この夜最後の訪問地。
洋食の老舗「五島軒」。明治12年創業。
正確にはレストラン部門の名は「雪河亭」というようですが、
あまりこの名は浸透しておらず、五島軒で十分通じる。
昼間の五島軒はこんな雰囲気。先の猫さんはこの前で遭遇。
なぜ五島軒が「函館のなかのロシア」かと言えば、
初代料理人の五島英吉が、ロシア料理を伝えたため。
五島列島出身の英吉は、長崎奉行所の通訳を務めていたが、
旧幕府軍に加わって函館に渡り、五稜郭で敗戦。
追われる身となった彼をかくまったのが、先のニコライだった。
ハリストス正教会に隠れ住みながら、ニコライから
ロシア料理のレシピを学んだ英吉は、その後、
函館でパン屋を営む若山惣太郎と出会い、
「ロシア料理とパンの店、五島軒」が誕生したという。
今もロシア料理のメニューがあるが、カレーのほうが有名に。
オーダーしたのはそのどちらでもない、今月のおすすめセット。
ほっとする上品な味。落ち着いた雰囲気。さすがS先生絶賛のお店。
レストランの隣には、ショップや展示コーナーもあり。
明治の洋風建築が残る函館の市街地。
小樽同様、坂の街ウラジオストクとちょっぴり似てる。
そしてロシア情緒をさらにかきたてるのが路面電車。
ロシアのトランバイより小ぶりで可愛い。
数分おきに運行しているので、とても便利。
乗っては降り、乗っては降りして市内を巡ること12時間。
雪の函館を存分に堪能したのであった。