「日本でダーチャはできない」というのが、本を書く前からの結論で、
それゆえ「今ある暮らしのなかでダーチャ的精神をもとう」的方向に
落とし込んだのだけど、お金と時間と体力のある人なら、
もちろん日本でもダーチャ暮らしはできましょう。
実際やってる方もおられます。
でも残念ながら、私にあるのはあり余る(?でもないか)体力だけだし、
それ以前の問題として、「週末ごとに田舎に通う自分」
というものが、まったく想像できないのである。
むしろ「農的暮らし」を都市に引き寄せることのほうが
自分にとってのリアルだったので、たとえば
ベランダも屋上も壁面も利用できる
菜園マンションがあればいいのに、とか
巨大団地の管理されたツマラナイ緑地帯を畑にして
住民主体で団地産野菜をつくればいいのに、とか
やれ税金対策だのなんだのと批判されがちな都市農家は
畑の一部をコミュニティに開放すればいいのに、とか
漠然と勝手に妄想してきた。
そうか、これが
アーバン・アグリカルチャーだったのか。
何もどこか別の場所に〝通う〟必要はないのだ。
むしろ〝ここ〟になければ意味がないのだ。
帰る故郷のある人にとって、都会は使い捨てる場だったりも
するのかもしれないが、「原風景は東京のキャベツ畑」
というマイノリティー(今や!)に言わせれば、
都会から土が消えたのは、たかだかここ何十年かのことで、
それは異常なことなのだから。
つまりこれは「農」の問題ではなく「都市」の問題。
もうちょっと妄想と勉強を続けてみようっと。