サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

アパートの猫

2010-03-15 | ロシア取材2007
ペテルブルクでホームステイしたお宅の三毛猫ちゃん、
ムィーシカ(ネズミちゃん)はこんな暮らしをしてました。

お食事はドライフード2種類とミルク。台所の片隅で。
これは日本とあまり変わりありませんね。

そしてこちら、おトイレは人間トイレと同じ場所に。
コーナーをうまく利用してます。
奥の壁に張ってある絨毯の端切れは爪とぎ用?

食器用のザルを代用してるのかと思ったら、
猫の顔模様が入ったレッキとした猫用トイレ。
猫砂がないですね。でも全然臭くなかったのはなぜ??
こまめに手入れしてるのでしょうか。

アパートに帰ってきて何重もの鍵を開け、ドアを開くと
ムィーシカちゃんがちんまり座って待っててくれました。
ロシアの猫は人見知りしない良い子が多い気がします。
室内飼いなのにあまり外を恐がらず、
ダーチャにも連れていけるのが不思議!
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シェレメチェボ遺失物探し

2010-03-10 | ロシア取材2007
そういえば、旅のトラブルまだまだありました。
「ああっ、i-Podがない!飛行機に置いてきちゃったのかも~」
とOさん、成田からモスクワに着いたその日に早くも忘れ物。
しかも、よりによってレアものの機種だという。
現地在住の知人にアエロフロートに問い合わせてもらうも、
そのような忘れ物は届けられていないとのこと。
でも取材旅行は待ったなし。これ以上追求する時間もなく、
この一件は旅の間、思い返されることはなかったのであった。

帰国日。ペテルブルクから国内線でモスクワへ移動し、
着いたのはシェレメチェボ空港第一ターミナル(*)。
成田行きの出発まで、まだ優に7時間近くある。
何すりゃいいの、この時間!
あ…。そこで思い出したのが忘れ物の一件。どうせヒマなのだ。
時間つぶしのテーマは「i-Podを探せ!」に決定~。

とりあえず目の前にあった遺失物取扱所へ。
といっても木のカウンター越しにおばちゃんが座ってるだけで
遺失物が保管された棚があるわけじゃなし、機能してる風情もない。
どう見ても役に立ちそうになかったが、
どう役に立たないかを見てみたくなるのが暇人のサガである。
案の定、「国際線でなくしたなら国際線へ行け」と一言。
それはわかっておる。国際線のどこそこでお尋ねください、
となぜ言えないのだ、この人たちは(笑)。

第一から国際線の第二ターミナル(*)へ、バスで移動。
早速、遺失物取扱所の標識が示す方向に向かってみるが、
そこにあったのは荷物預かり所。ちょうどいい。
スーツケースを預けて身軽になったところで、捜索開始!

手始めにエレベーターホールの表示を見てみると、
どうやら上の階に航空会社のオフィスがあるらしい。
ヒマなので一階ずつおりて見てみる。
がら~んとした食堂があるだけの階。ここ違う。
次…あった!廊下沿いにオフィスのドアがずらりと並んでる。
なのに、あるのは外国の航空会社のオフィスばかりで
肝心のアエロフロートがないじゃないか。
ふむふむ、アエロは別格なのか。
再びエレベーターに乗って降りようとすると、Oさん、
日本式に気ぜわしくボタンをガンガン押しまくって
せっかく閉まりかけたドアを全開にしてしまい、
同乗してたロシア美人に「押さないで!」と怒られる。
そう、Oさんが押してたのは「開」ボタン。
日本のように「閉」のボタンなどないのである。

さあ次!アエロフロートのオフィスはどこぞ?
と見れば、ターミナル入口近くにひっそりとあった。
職員のおねえさんを呼び止めると、あからさまに迷惑顔。
事情を話すと、自分の管轄ではない内容と知って
これまたあからさまにホッとした表情で言う。
「ああ、それなら荷物預かり所で聞いてちょうだい」
え、なんで荷物預かり所?
最初にスーツケースを預けた場所じゃないですか。
不審に思いつつも再び振り出しに戻ってみれば…。
ああっ、ある!荷物預かり所の入口の右脇っちょに、
「遺失物取扱所」と書かれた別室が確かにある!
荷物も遺失物も預かるんだからおんなじ、てことか。

ようやくたどりついた遺失物取扱所で、また一から説明。
すると係のおばちゃんが、おもむろに大判のノートを取り出した。
出た!ロシア得意のアナログ・ノート!
使いこまれたノートにびっしりと書き込まれた手書き文字。
「紛失したのはいつ?何時の便?」ときびきび尋ねながら
ページを繰る頼もしい職業婦人!
一筋の光が射し込んだかに思えたが…。
「ないわね」
…ガックリ。やはり誰かの懐に納まってしまったのか。
これでようやくあきらめのついたOさんであった。

それにしても、倉庫に収められた目を見張る遺失物の数々!
うっかり忘れたりなくしたりしたとはとても思えないような
巨大な包みや大きなバッグがいくつも山積みになっている。
ひょっとして引き取りにこれないヤバイものだったりして?

*現在シェレメチェボ空港のターミナルが続々増えて名称変更中。
「第一」は「B」、「第二」は「F」となります。詳しくはこちらを。

シェレメチェボの荷物ぐるぐる巻きサービス(有料)
によってぐるぐる巻きにされるOさんの手荷物。
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プルシェンコ

2010-03-02 | ロシア取材2007
ヴォロネジの街角で見かけたプルシェンコのアイスショーのポスター。
バンクーバー五輪のエキシビションの演技、素晴らしかったですね。
別格のオーラ、別次元の表現力、
スター・オン・アイス、ここに極まれリ!

プルシェンコといえば、ペテルブルクのホームステイ先で
家主さんが見ていたテレビ番組を思い出す。
その番組というのは、フランスのスキー場を舞台に
欧州各国のちょい有名人らしき人々が国別で競い合うウィンターゲーム。
例えば大きなタイヤの真ん中にすっぽりはまったまま
雪の斜面を誰が先に滑り降りるかを競ったりして、
まるでアイドル水泳大会冬バージョンみたいなパカっぽさ。
それを大のおとなが国を背負って真剣勝負するのだ。
そして、ゲームを終えたロシア・チームの前に躍り出て、
マイクを突き出したのがプルシェンコさま。
フードつきの白のウェアで白熊のように着膨れして
レポーターとしてソツなくインタビューをこなす姿は、
松岡修三か!?と思っちゃいました。

さてこの大会で決勝に勝ち進んだのはロシアとウクライナ。
まだ金融危機前の未曾有のパワー全開のロシアが
因縁のライバルと一騎打ち!という
主催国フランスはもとより欧州諸国にはシラけた展開。
今思うとロシアバブル絶頂期の浮かれ気分みなぎる番組だったなー。
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窓口の攻防

2010-02-16 | ロシア取材2007
*写真はイメージです。本文中の両替所とは関係ありません。。。

ナタリアさんの案内でヴォロネジの両替所で両替をしたときのこと。
お札を数えてさあ出よう、としたそのとき…
「あれっ、1枚足りない!」と同行のOさん。またまたトラブル発生~。
ナタリアさんが窓口のおばさんにその旨を告げると、
おばさん、上目づかいでOさんを見て
「彼女がどこかにしまったんでしょ」と泥棒呼ばわりの失礼な物言い。
「そんなわけないでしょ!」とナタリアさんも強気の応酬。
あ~始まっちゃったよ~。ソ連的窓口の攻防が。

押し問答の末に、おばさん、物も言わずに窓口をいったん閉め、
おもむろに両替所に残っているすべてのお札を数え始めた。
そして今度は帳簿を広げ、電卓をたたき始める。
どうやら本日の収支と残金をつきあわせるつもりらしい。
当然いやいやながらの作業なので急ぐでもなし、
これじゃあ一体いつまで待たされることやら…。
気の毒なのは、あとから入ってきたお客さん。
え~なんだよぉ、閉まってるのかよぉ~、と
半ば追い出されるように出ていってしまった。

「え~、もういいですよ~」といつになく弱気のOさん。
「どうせルーブル余ってもしょうがないし、ロシアだし~、
こういうときはニチェボーですよねっ。にちぇぼ~(No problem)!」
するとそのロシア語単語を聞きつけたナタリアさん、カッと目を見開いて
「何言ってるの!ニチェボーじゃないわよっ!!」
こ、こわ!美人のナタリアさんは怒ると目が超キツイ。
そりゃそうですよね。こういうときこそ断固として闘うのがロシア人。
そもそも誰のために闘っているんだか。

やがて…すべての計算を終えた窓口のおばさん、
ぺらりと1枚、お札をぞんざいに放ってよこした。
ほーら、やっぱりおばさんが間違えたんじゃないですかー。
でも謝罪はもちろん弁解の言葉もない。終始無言、無表情。
そしてお金さえ戻ればナタリアさんももう抗議はしない。
無言の勝利。何事もなかったかのように、とっとと帰る。

うーん、郷に入っては郷に従えとはいうものの、
日本人にはなかなか馴染まない決着法。
ポスト・ソ連世代に属するナタリアさんなのに
こういうやりとりに手馴れたふうで、なんだか頼もしかったです。
なのにOさん、
「ロシア人でも二チェボーじゃない人もいるんですね!」
うーん。そういうことじゃなくて、
ニチェボーの使いどころを間違えてると思うんだけど…。
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プラウダ土産

2010-01-31 | ロシア取材2007
コムソモルスカヤ・プラウダでいただいたオリジナル・グッズ。
くすんだオレンジが可愛いマグカップ。We are ロシアNO.1!
プロパガンダ芸術の手法が資本主義に活かされてますねー。
前記事の写真にもあるようにひとり一個ずついただきました。

          そしてこちらはプラウダ・ウォッカ。
              
気分を高め、創作に刺激を…みたいなことが裏に書いてあります。
おいおい、仕事中に飲まないでくださいよ!
ご覧のとおり3年たった今も手つかず。

ほかにもオリジナルのカレンダー・カードをもらったはずなのに、
どたばたしていてどこかに紛失したもよう。
どのみちグラマー美女の写真入りだったので、もらってもいりませんが…。
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プラウダ逆取材

2010-01-29 | ロシア取材2007
さて、ひとしきりコムソモルスカヤ・プラウダ見学を終えると、
お茶でも飲みながら話を…ということになり、同行の編集者Oさん、
ヴァルシェブニキの熱烈ファンKくんと共にテーブルに案内される。
すると黒ブチ眼鏡をかけた敏腕記者ふうのブロンド美人が
いつのまにかテレコと筆記用具をもって傍らに座り、
その他数名の記者たちが我々のぐるりを取り囲んでいる。
げっ、これって完璧に取材態勢では!?

これまでにもダーチャを取材に行って逆に取材されること度々。
ロシアの地方都市では日本人がやってきたというだけでネタになる。
危機を察した私とOさんは、うかつなことは話すまいと
通り一遍の受け答えでオチャを濁そうとしたのだが、
ロシア初めてのKくんは、舞い上がって話し出したらとまらない。
子供音楽グループ「ヴァルシェブニキ・ドヴァラ」を訪ねて
はるばる日本からやってきたその理由、カレラの魅力…などなど
感情に任せてほとばしり出るコテコテの関西ノリ英語を、
ヴァルシェブニキの音楽監督ヴィタリーさんが
なぜかスラスラとロシア語に通訳していく。
なぜ訳せるのだ。日本人にさえ意味不明なのに?
それより、ほかの人たちは英語がわからないということか。
いくら地方局とはいえロシア最大の新聞社の記者たちが!?

帰国後、その時の記事をネット上で発見!しかも写真つきである。
「いやだ~!プラウダっていったらうちの親だって知ってますよ。
恥ずかしい~!やめて~!」とOさん。まったくトホホである。
しかしよく見るとこの写真、実に見事な構図なのである。
カメラを構えるOさん、メモをとる私、ヴィタリーさんと話しこむKくん、
という取材3要素をこなす日本人たちをきっちり一画面におさえてる。
一体いつのまにこんな絶妙な写真を撮ってたんだか!
なるほど、カメラマンの腕は一流といわねばなるまい。

だがしかし、美人記者の書いた肝心の記事がイケナイ。
Kくんの舞い上がりぶりが殊更に強調され、すべてのコメントが
「ワオ!」で始まるなど(事実そうだからしょうがないけど)
はしゃぎまくる日本人を冷やかに茶化すような文章に仕上がっており、
さしものKくんもいたく傷つき、すっかり落ち込んでしまわれた。
しかもその記事の見出しときたら…。
「我が街のヴァルシェブニキ、日本ではタトゥーをしのぐ人気!」
…誰だ、そんなことを言ったのは!
「私たちそんなこと言ってませんよね!Kさんじゃないすか」とOさん。
「ボクも言った覚えないけど~」とKくん。
いや、言ったはずだ。
より正確に言えば、そう言ったように通訳されていたはずだ。
これだからロシアのメディアには言わぬが花なのである。
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コムソモルスカヤ・プラウダ

2010-01-28 | ロシア取材2007
*「コムソモルスカヤ・プラウダ」ヴォロネジ支局のデザイン室。

「プラウダに行ってみない?同業者同士で話をしてみたら?」
とヴァルシェブニキの音楽監督ヴィタリーさんに誘われて、
新聞社「コムソモルスカヤ・プラウダ」を訪ねたのは3年前。
プラウダはプラウダでも、こちらコムソモールの機関紙に発し、
今やロシア最大、300万部の発行部数を誇る大衆紙。
全国版と地方版があり、訪問したのはヴォロネジ支局である。

「ようこそ、いらっしゃい!」と気のいい記者たちに迎えられ、
長い廊下に沿っていくつも並ぶ小部屋を見学。
どの部屋にもパソコンが並び、机の上はすっきり整頓。
部署ごとに部屋が分かれ、一部屋数人。
新聞社というよりデザインオフィスみたい。
 
左は校正室。右はカメラマンのアレクサンドルさん。
前日に撮ったパレードの写真を見せてくれました。
     こちらは経理。

廊下の壁には著名人の写真がズラリ。
「僕が撮ったんだよ」とアレクサンドルさん、自慢げ(笑)。
 
あ!振付師モイセーエフさんの写真発見!
東京公演を見て大ファンになったロシア民族バレエ界の巨匠!
チャーミングなおじさまに撮れてますねぇ。
(残念ながらこの写真を見た半年後の2007年11月2日没、101歳!)
けれどさっきから同行の記者たちはニヤニヤ。
「この人ゲイだよ、ゲイ!うひゃひゃひゃ…」
そ、それが何か??なんでしょう、この嬉しがりよう。

……つづく。
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愛しのミーシャ

2010-01-24 | ロシア取材2007
サンクトペテルブルクでホームステイさせていただいたお宅の寝室に、
陶器製のミーシャがちんまりと置かれてた。
たぶんこの家のご主人が、1980年のモスクワ五輪のときに
リアルタイムで手に入れたものだろう。
今やミーシャはノスタルジックなコレクターズ・アイテム。
うちにもロシア各地で買い求めたミーシャくんがいるけれど、
ロシアのふつうのお宅でふつうに佇むミーシャを見て、ちょっと感激。

ほんとはベッドのサイドテーブルの上に置かれてましたが、
光線が足りなかったのでバルコニーの見える窓辺でパシャリ。
外に見えるのはポストモダンなアパートの建物。
同じ建物が何十棟も並んでいて壮観でした。
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ヴォロネジのロシアホテル

2010-01-23 | ロシア取材2007
夢のヴォロネジ……。あれからもう3年近くたってしまったけど、
周期的にヴォロネジ行きたい病に見舞われる。
ヴォロネジで出会った人たちは、信じられないくらい皆いい人だった。
その最たるは、現地でお世話になったヴァルシェブニキの音楽監督
ヴィタリーさんとその奥様ナタリアさんなのだけれど、
ぜひとも書いておきたいのはホテル「ロシア」の従業員の方々のこと。

そもそもこの時は、通常のバウチャー旅行ではなく
成り行きでヴィタリーさんが現地で宿を手配してくれることになり、
着くまでどこのどんなホテルに泊まるのかもわからぬありさま。
なんの情報もないままに連れていかれたのが、街の中心部にある
こじんまりとした大衆ホテル「ロシア」だった。

 ヴォロネジのホテル「ロシア」の客室

初日深夜。空港からホテルに到着するなり、
「おなかすいた~!!」と同行のOさんの第一声。
こんな時間じゃどこも店は開いてない。するとホテルの女性従業員が、
「あらあら大変!何かないかしら」と、どこぞかへ引っ込んでいき、
やがて、ハム、チーズ、ヨーグルト…などなどをパックに入れて
もってきてくれた。どうやら腹ぺコのOさんをほんとうに心配して、
従業員総出で食堂の残り物を集めてくれたもよう。しかもタダ。
そして「これしかないのよ」と申し訳なさそうに言うのだ。

そこに追い討ちをかけるかのように、もうひとりの同行者Kくんの嬌声。
「あ~ん、お風呂のお湯が出な~い!!」
するとまたまた従業員総出で、「あら大変!!」が始まった。
急遽、Kくんの部屋を替えてもらうことになったのだが、わざわざ
「お友達だけ別の階になるけどいいかしら?」と隣室まで聞きにくる。
なんだろう、この対応のやわらかさは??
モスクワのホテルなら、お湯が出ない? あ、そ。
修理屋が来るまで待ってなさい!で終わるところだ。

と!「私の部屋のお湯も出な~い!」と今度はOさん。
またまた従業員総出である。そして私のところに来て言うには、
「ここの給湯タンクは30リットルしか入らないから、
お湯を使いきったら40分待ってちょうだいね!」
やっぱりそうか。確かにここのお湯は途中で水になってしまったが、
よくあることなので、私はふつうに水シャワーを浴びてたぞ。
お湯はつねに出るものと思い込んでる若い衆は甘いのである!
なのに従業員さんは、イラついてるふうもなく、
「あの人たち、大騒ぎしてておかしいわね~。
何度言っても言葉が通じないみたいだから、
あとで説明しといてちょうだいね!」と終始笑顔。
大騒ぎする日本人が面白くてしょうがない、という感じなのだ。

別の日。フロントの女性に「コピーのできるところはないですか?」
と尋ねたら、「あら、ここでできるわよ」と
その場でタダでやってくれた。おまけに、
「そうそう、チェックアウトは込み合うから、急ぐなら今のうちに
支払いをすませておいたほうがいいわよ」と親切なご忠言。
まだ両替していないんですけど、ここで両替できますか?と聞けば
「ホテルではやってないけど、近くに銀行があるわよ」
でも今日は祝日ですけどあいてるでしょうか?
「あらそうだったわ」
するとその会話を聞いていたガードマンのおじさんが、
「カジノならやってるかもしれん」と口をはさんできた。
カジノ!!なんとヴォロネジにもカジノがあったんである(当時)。
丁寧に銀行とカジノの地図を書いてくださるフロントの方。
ああ、こんなに親身になってくれるホテルがロシアにあったとは!

が、最終日。チェックアウトを済ませて空港に向かい、
カフェで搭乗時刻を待ってたら、見送りのナタリアさんの携帯が鳴った。
ホテルの清掃係から、Kくんの部屋のタオルが1枚足りないが
持っていっていないか?と問い合わせてきたという。
「え~、ボク持ってきてないもーん!」とKくん。
そりゃそうだ、お持ち帰りするほど特徴のあるタオルでもなし。
だが疑われてもおかしくはない特徴がKくんにあるのは確かだ。
その場はなんとか収まったが「なんで私の携帯番号知ってるのよ!」
とナタリアさんはおかんむり。
せっかくいい印象をもってホテルをあとにしたのに、
少々バツの悪い幕切れとなってしまった。
でも清掃係の人は、単に職務に忠実なだけだったんだろうなぁ。
…にしても!なぜに若い衆は余計な騒動ばっか引き起こすんだか。
もう二度と連れて行かんぞー!

おまけ。ホテル「ロシア」の並びにあった日本料理店。

その名も「ワリバシ」!右奥には寿司ネタの写真パネルが。
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ロシア食べまくり総決算1

2007-12-18 | ロシア取材2007
このところ「旅」よりも「取材」の要素が強かったので、
食べ物データを整理していなかったことに気づく。
忘れないうちに、今年ロシアで食べたもの総まくり。
(р=ルーブル。1р=約4.8円)

1日目・5月5日(土)
アエロフロート機内食・1食目(夕食)
 
アエロフロート機内食・2食目(朝・昼食) 
  
パターン1         パターン2
*パターン1を頼んだらピーマンだらけだったので、
Oさんのパターン2と替えてもらう。
(どっちが魚でどっちが肉だったかももう忘れてる!)
アエロフロートはこれまでアルコール飲み放題だったのに
有料になっていた。ワイン3ユーロ。

夕食/モスクワのホテル「イズマイロフ・ヴェガ」レストラン
  
*何はともあれビールとブリヌイで到着を祝う。400р。
左奥はOさんのサラダ(キノコ、ハム、キュウリ入り)。
Kくんはボルシチを頼み、濃厚な味に過剰に感激。
「スゴくないっ!?」を連発。

2日目・5月6日(日)
朝食/ホテル「イズマイロフ・ヴェガ」バイキング

*朝食代320p。高いだけあって種類豊富。迷うことしきり。
なぜか初日はデザートコーナーの写真しか撮っていない。

昼食/レストラン「СПЕЦБУФЕТ No7」
  
*モスクワ在住S.Rさんの案内でソ連レストランへ。
内装のみならず、サービスもあえてソ連ちっくな無愛想
と聞いていたが、そうでもなかったのでちょっと残念。
おごってくださったので値段わからず。美味でした!

夕食/アルバート通りの「ヨルキ・パルキ」

*Oさんが路上の似顔絵描きに似顔絵を描いてもらってる間に
Kくんとともに食事どころを物色。
セルフサービスのロシア料理チェーン、
困ったときの「ヨルキ・パルキを」見つけて即決入る。
手前トレイ「外套を着たニシン」、キノコ料理など171p。
欠食児童二人は手当たりしだいに皿をとってモリモリ食べていた。

3日目・5月7日(月)
朝食/ホテル「イズマイロフ・ヴェガ」バイキング

*同じく320p。正しい朝食第1回戦。このあとデザートも。
バイキングなのをいいことに、昼まで起きてこないKくん用に
サンドイッチをつくり、ヨーグルトやナッツをお持ち帰り。

昼食/レストラン「ムウ・ムウ」

*ここもセルフサービスのお手ごろロシア料理チェーン。
白と黒の牛柄模様がトレードマークでお皿もお揃い。
ボルシチ、サラダ、チキン、ポテトなどなどで303.5p。
S.Rさん、M.Tさんの案内で。

夜食/ヴォロネジのホテル「ロシア」の差し入れ
*モスクワからヴォロネジへの移動中、Kくんついにダウン!
結局何も食べないまま深夜のヴォロネジに到着。
Oさんの「おなか減った~!」の一声で、
ホテルの従業員総出でカフェの余りものをかき集め、
パン、チーズ、ハム、ヨーグルトなどをパックに詰めて
もってきてくれる。しかもタダ。
なんと優しい人たち!そしてなんと迷惑な客だ。

4日目・5月8日(火)
朝食/ホテル「ロシア」(朝食代込み)

*小さな食堂ふうのカフェで3種類の朝食コースから選択。
ちょうど3泊するので全コース制覇に挑む。
初日はブリヌイとチーズ。量もほどよくヘルシー。

昼食/カフェ「ヴォヤージュ」
  
*子供音楽スタジオ『ヴァルシェブニキ・ドヴァラ』の責任者
ヴィタリーさん行きつけの店のVIPルームにて、
サラダ、ボルシチ、川魚の料理をご馳走になる。

夕食/カフェ「ロビン・スドビン」
カール・マルクス通りのセルフのカフェでビールのみ。70p。
『ヴァルシェブニキ』の子供たちの魅力について
Kくんん、Oさんと熱く語り合ってしまったため、
写真を撮っていないのである。
ここはケーキが売りらしく、Kくんは巨大ケーキと格闘していた。

5日目・5月9日(水)
朝食/ホテル「ロシア」

*本日はオムレツ。といっても、なぜかロシアでは
卵をクレープのようにつぶしてしまうのですよね。

昼食/ヴォロネジ市内某所のレストラン

*名前を失念…。「海」をモチーフにしたお店で
ブリヌイ、サラダ、ナルザン(ミネラルウォーター)を注文。
ヴィタリーさんの奥さん、ナタリアさんのおごり。

夕食/なし。
*『ヴァルシェブニキ』に同行して深夜3時半までコンサート取材。
子供たちはお弁当持参で来ていたが、我々は手ぶら。
結局、バスの中でダリアちゃんにもらったガムと
日本から持っていったポッキーで食いつなぐ。

6日目・5月10日(木)
朝食/ホテル「ロシア」

*ヴォロネジ最終日はカーシャ(おかゆ)とソーセージ。
ここの朝食はどれもシンプルながら胃にやさしくおいしかった!
なのにKくんは朝食の席に一度も現れることなし。
Oさんもこの日は出発時刻ギリギリまでバク睡。

なので…二人はヴォロネジ空港の場末っぽいカフェで朝食。

お代を払おうとすると、空港まで送ってくれたナタリアさんが
「ダメ!」と恐い顔で制し、おごってくれてしまう。

お茶/モスクワ・ドモジェドヴォ空港のカフェ

*ノーパソ持参のOさんの要請で、ネットができるカフェで一服。
MOKKOなるものを注文。値段失念。
日本に帰るKくんとはここで別れる。

昼食/モスクワ・ドモジェドヴォ空港のウズベク料理店
  
*久々にロシア料理以外のものを満喫。
キャベツサラダ100g、マントゥ200g、レピョーシカ、シャシリク
などなど、Oさんの食欲につられて頼みすぎる。
「スメタナはいるか?」と聞かれたので「ダー!」と答えると
カップ丸ごとついてきた。もち別料金。計459pなり。

満腹状態でペテルブルク行きのロシア航空機に乗れば……

いきなりサンドイッチの機内食!もう食べられ~ん!
容器だけ記念にいただく。

夕食/ペテルブルクのホームステイ先にて

*あんなに食べたにもかかわらず、出されると食べてしまう。
これはOさんが泊まるアパートで出された料理。
このあと自分の泊まるアパートに戻ると、
ここでもまた料理をふるまわれる。
何を食べたかも覚えていないほど満腹放心状態。

7日目・5月11日(金)
朝食/ホームステイ先にて

*絵になるキッチン。
目玉焼き、ピローグ、パン、紅茶、オレンジジュースなど。

昼食/食べた記憶なし。
市内観光と買物、ダーチャ協会取材、ダーチャ用の買出し
などなどに追われ、そのままダーチャになだれこむ。

夕食/ダーチャにて

*なぜなんだ。楽しみにしていたダーチャ料理がカレーとは。
ダーチャの主タチアナさんは体調が悪いとかで、
日本人だけで自炊することになったせいだ。
カレーはTさん、シャシリクはI さんの作。
意外にもOさんが料理人と判明し、手早く付け合せを用意。
お招きしたロシア人たちに好評を博す。

8日目・5月12日(土)
朝食/ダーチャにて

*またまた日本人による自炊。Oさん大活躍~!
……はいいけれど、これじゃ現地取材の意味がないのである。

昼食/中華料理『唐人酒楼』にて
  
*タチアナさんの車で市内に戻る道中、中華屋へ。
とりあえず東洋人なので、したり顔で料理解説してたら
うっかり写真を撮らないうちに食べ終わってしまった。
辛いナス料理がすっかり気に入ったタチアナさん、
娘のためにテイクアウト所望。
お世話になったので、お代はこちらがもつ。総計1000p。

夕食/ホームステイ先で
*「どうして帰ってこないのよ!うちに泊まりにきたのに
よその家で食べたり、レストランに行ったりなんかして!」
と怒られながら喰え喰え攻撃にあい、ハラがパンパン。
確かボルシチ、肉、魚などなどを食べた記憶が。

9日目・5月13日(日)
朝食/ホームステイ先で

*ロシア最後の朝食はブリヌイ。
本当にごちそうさまでした!

ペテルブルクからモスクワへの国内線機内食

*巨大なクロワッサン1個

シェレメチェヴォ空港で一服
*写真もレシートも残ってないが
Oさんがお腹すいたというので、アメリカンな店に入り、
ビールを飲む。Oさんはしっかりランチ。底なしの胃袋だ。

アエロフロート機内食・1食目


10日目・5月14日(月)
アエロフロート機内食・2食目
  
パターン1         パターン2(Oさんのチョイス)

かくして成田空港到着。食べすぎだ~。
ちなみにホームステイ、ダーチャステイは食事代込み。
そのほかもご馳走になってばかりで、
食べたわりには食事代を払ってないのであった。
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ロシア菓子

2007-08-04 | ロシア取材2007
5月のロシアで買ったお菓子が未だ減らないうちに、
もう次のロシア行きが迫ってきた。
手頃なロシア土産に、と思ってつい大量に買ってしまうお菓子たち。
ロシアでは、モスクワにはモスクワのお菓子工場、
ペテルブルクにはペテルブルクのお菓子工場、と各地に工場があり、
それぞれがご当地商品を売り出しているので、
目新しいものを見ると買わずにはいられなくなってしまうのだ。

でも、いざ人に配ろうとすると、舌の肥えた日本人には
この素朴さはたいしてありがたがられないだろうし、
可愛い包み紙もポイと捨てられてしまうんだろうなぁ…。
そう思うと、とたんにドケチに拍車がかかり、
価値を共有できない人には絶対やらん!としまいこんでしまう。
かといって、毎日お菓子を食べる習慣はないので、
年々ロシア菓子の貯蔵が増えていく。
戒めのために、冷蔵庫のかなりのスペースを占めているロシアチョコや
紙袋に詰め込んだままのキャンディやら何やらを全部並べて
写真を撮ってみようかと思ったが、恐ろしいのでやめておこう。

食べてこそのお菓子!バカ買いは控えよう、と反省していたある日。
ロシア本に掲載したお菓子写真を見たロシア通の歌手Yさんに、
「あなたたち、よくこんなもの残してあったわねー。
私には見慣れたものだから、とっておくという発想がないわ。
こうやって残しておくから本になるんだわねェ」
と変な感心をされた。
そうだ、やっぱりとっておくことに意味があるのだ!
…と信じてとっておくことにしよう。
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バーニャ!

2007-07-22 | ロシア取材2007
ペテルブルクのダーチャではバーニャ(ロシアふうサウナ)を体験。
いつもは我流で適当に入っているのだが、
今回はタチアナさんがバーニャ指導をしてくださった。
まずは頭をタオル地のターバンでガードし、
すっぽんぽんでベンチにうつ伏せに横たわる。
すると、白樺の葉っぱの束を手にしたタチアナさん、
それを熱湯につけて、人の背中を容赦なくパンパンたたき始めた。
熱いっ!けど気持ちいい!熱キモの快感である。
ひとしきりはたかれてポカポカになったところでOさんと交代。
扉の向こうから「はー!」とか「ひー!」とか
Oさんの声にならない声が聞こえる。
ほんとにバーニャはそういう声が出てしまうのだ。
でも大変なのは、たたいているタチアナさんのほう。
2人たたき終わると、汗だくでとっとと出て行かれた。

さて、サウナ室のベンチでなおも横たわっていると、
バーニャのしくみをひとしきり観察していたOさんが、
「たぶんこうやるんですよ」と熱した石に大胆にお湯をぶっかけた。
ジュワ~!という音とともに、狭い室内に水蒸気が一気に充満し、
熱風が喉にとびこんでくる。
ぐわっ、くるしい!息ができない!!
早々に部屋を飛び出すが、Oさんは「気持ちいいですよ」と
まだ中にいる。うそだろー。

バーニャ小屋の外に出ると、ひんやりとした夜の冷気。
見上げれば、群青色の大きな空。
この瞬間がこたえられないのである。
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帝都幻影

2007-07-14 | ロシア取材2007
今回サンクトペテルブルクを訪ねた目的は、ダーチャ協会の幹部に
取材をすることと、郊外のダーチャを視察すること。
なので、市内を見て歩く時間はあまりない。
なんとか時間を捻出して、I さんとTさんが市内を案内してくださった。

が、なにせ時間がないので大はしょり。
現地在住のおふたりは、勝手知ったる裏道を抜け、
ハイ、これがエカテリーナ像!ここがエルミタージュ!
と飛ぶようにして名所前をつぎつぎ通過~。
「え~、なんか感動がないな~」
と、ペテルブルク初めてのOさん。そりゃそうだ。
やっぱ初心者は、裏道じゃなくネフスキーを歩かなきゃ!
と目抜き通りに連れ出したが、まだ感動がないという。
そうか、昼間だから情緒が足りないのか。
夜来るといいよ!外灯がともってきれいだから!

…となだめて、別の日の夜、街に出た。が…。
白夜を2週間後に控えたペテルブルクの街は、
いつまでたっても暗くならーん!!
なのにお店は閉まってる~。買物もできな~い!
でもホラ、運河に架かる橋、きれいでしょ!
あの建物、壁面の彫刻がすごいよね!
といろいろフォローしてみるのだが、
Oさんの消化不良は、ついぞ解消されることがなかった。
なんでだろう?
「うーん、なんか普通のヨーロッパの都市ですね~」

それは言えてる。ぺテルブルクを今初めて見たとしたら、
きっと同じ印象を抱くだろう。
排ガスに咳こみながら、くすんだ街のあちこちに、
見事な建造物を見つけては立ち止まり、
帝政ロシアの面影に浸ることは今はもうできない。
つつましいソ連的光景のなかに過去の栄華を見つけてこそ、
パラドクシカルな感動に酔うことができたのであり、
石造りの建物が洒落たカフェやショップだらけになった今、
ここにあるのは蘇る大欧州の一端を担う現在進行形の栄華なのだ。

「だったら夜中に跳ね橋が上がるところを見たら?」
あまりにどこも観光していないOさんを見かねてか、
ホストファミリーのタチアナさんが提案してくれた。
うん、それがいい。せめてそれくらい見ておけば
Oさんの落胆も晴れようが!
しかし、皆が行く気満々になっている矢先…。
「橋が上がるの見て何がいいんですか?
疲れたからもう寝ます」
うーーん。。。。
Comments (2)
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ダーチャの家

2007-07-09 | ロシア取材2007
ロシアの都市住民は例外なくアパート暮らしなので、
ダーチャこそがマイホーム。
一見すると似たようなつくりだけれど、木材の組み方や窓の飾り、
そして何より、ロシアの森に映えるとりどりの色に、個性が出る。
      
サンクトペテルブルク郊外のダーチャの家々。
真ん中の白い家は、ちょいリッチ夫婦の最新鋭ダーチャ。
木ではなくプラスチックのパネル張り、トイレは水洗、
ビリヤードルームまであってダーチャらしからぬ風情だが、
夫人は園芸雑誌を熱心に読んで、畑計画を練っておられた。

こちらレンガづくりの高級ダーチャ。窓まわりが凝ってます!

とにかくどこを撮っても絵になるダーチャ。
編集のOさんと二人でカメラ抱えて写真を撮りまくっていたら
「パパラッチがきた!」とダーチャ村の人々に笑われてしまった。
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畑拝見

2007-06-29 | ロシア取材2007
タチアナさんのお向かいのダーチャに住むニーナさんが、
自慢の畑を見せてくれた。
畑には囲いがあって、一段高く土が盛られてる。
その全体をしっかりシートで覆って苗をガード。
かなり仕事が細かいニーナさん。

かたやタチアナさんは、細かいことは気にしない性格で、
苗の植え方もアバウトだし、シートもかぶせないまま
街に帰ろうとするものだから、ニーナさんのご注進を受けていた。
で、渋々物置からシートを引っ張り出してきたタチアナさん、
ひん曲がったシートを適当に苗にかぶせ、
そのへんにあった大きな石を重しに置いて、おしまい!
畑には性格が出るのである。


こちら、ご近所のおばあちゃんの畑。
まだ日本の冬並みの気候だったのに、
夏に向けてもう準備万端。
この寒さを乗り越えて、強い野菜になるのだろう。
夏にまた見てみたい!
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