この松阪邸は竹原の町並みの中でも、独特の雰囲気をもっています。入母屋造り、平入り、間口七間の
つし二階の主屋の裏側に、平行にもう一棟、本瓦葺の建物とその二棟を直角の角屋でつないだ、表屋造
りとなっている。建築は江戸末期(1820頃)のものを明治12年(1879)に全面的な改造を行い、現在
の形となった。「てり・むくり」をもった波うつような独特の大屋根、その下のうぐいす色の漆喰、大壁造り、
塗込めの窓額つき菱格子の出窓、ゆるやかにカーブした本瓦葺の下屋、彫をもった出格子、与力格子な
ど、非常に華やかな建築意匠である。座敷は全体が数寄屋風の意匠で統一されている。初代は延宝2年
(1674)広島から移住、沢田屋と称して塩田の必需品である薪問屋・石炭問屋を業とし、塩田経営、廻船
業、醸造業と多角経営を行うかたわら、下市庄屋、割庄屋、竹原塩浜庄屋、竹原町長などをつとめるととも
に文化活動をおこなった。 (竹原観光HP参照)
PENTAX K-5 ”雅” + smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WR で撮った。