古保利薬師堂(こおりやくしどう)は、中国自動車道千代田インターから北西の方向にあります。スーパーうを目印に、
その横手から岡の方を見ると、薬師堂への登り口を示す赤い幟が立っています。二十数台は止められると思われる駐
車場も、訪れた11月13日は、早朝のせいか余裕でした。今年の紅葉はいまひとつのようでしたが、古保利薬師堂の
紅葉は十分満足のいくものでした。
※せきどよしお「仏像探訪記」参照
古保利は「郡(こおり)」からきた地名らしい。古保利薬師の裏の山からは50基を越える古墳が見つかっており、古代より
勢力をもつ者がいたことがわかっている。この地は山陰と山陽を結ぶ交通の拠点であり、郡の中心地であったのだろう。
古代には凡(おおし)氏という豪族が勢威をはり、この薬師堂の前身となった寺院を建立したものと思われる。
その後鎌倉時代以後桃山時代までこの地を治めた吉川(きっかわ)氏の保護により、この寺院(福光寺という名前であった
ことがわかっている)は大いに栄えたが、江戸時代になって吉川氏が岩国へ転封になって以後衰微し、ついには無住の堂
が残るのみとなった。薬師堂の諸像の多くは破損が進んでいるが、そのような歴史の流れの中でかろうじて残った仏像を
集めたものと考えられる。現在は仁王門の後ろに立派な収蔵庫が建てられ、北広島町が管理している。
PENTAX K-5 ” 雅(みやび) ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮っております。