瀬戸際の暇人

今年も休みがちな予定(汗)

異界百物語 ―第96話―

2009年09月02日 20時26分21秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今夜も幽霊屋敷について話そうと思うが…その前に、窓から顔を出して耳を澄まして御覧。

…虫の音が聞えるだろう?

秋の夜に、百物語に興じるのも、いとおかし。
さて、それでは始めようじゃないか。

これは、東京都に住むTさんが、友人の周囲で起きた怪異を語ったものだと言う。




1990年代初め頃、Tさんの友人が大田区に在る工場2棟を購入した。
そして並び建ってる内の1棟を精密機械の組立工場として作動させ、もう1棟は住居に充てる事にした。
建物は広く、Tさんだけで使うには部屋が余る。
そこで建物の内の1部屋に、もしかして不法入国かな、と思われる中国人の青年1人を住まわせる事にした。

ところがこの青年が住んで次の日に、「此処には住めません!夜中に見知らぬおばさんが現れて、叩き起こされるんです…!」と、蒼褪めて言う。
勿論その建物には、おばさんなど住んでいない。
誰も彼の話を本気で取り合わなかった。

その後も何回か青年は同じ事を言いに来たが、遂にノイローゼ状態になり、工場を出て行方不明になってしまった。

やがて、真夜中、誰も居ないのに階段を上り下りする足音がしたり、地鳴りがするようになった。
かと思うと水道管の剥き出しのパイプが揺れ出す。
何処かで工事をしている訳でもないのに、工員達数人が押さえても押さえ切れない酷さで、これは従業員全員が見ていたそうだ。

或る夜、工場の持ち主である友人から、Tさんに電話が入った。

「夜、建物に誰も居ない時、風呂場に電気が点く。
 時々点くんだ。
 ちょっと来て、誰か居るのか、一緒に確認してくれ…!」

駆け付けると、既に風呂場の電気は消えたらしかった。
「何時も使っている風呂場か?」と訊くと、「いや…」と口を濁す。
問詰めると問題の場所には、彼が買い取る前に工場の持ち主だった夫婦の部屋が在ったらしい。
和室で風呂場も付いていると聞き、「何故君はその部屋を使わなかったのか?」と尋ねるも、口ごもって話さない。
それでも友人は、その夫婦が若くして病死してる事を、Tさんに明かした。

「電源は切ってあるのに、時々風呂場に電気が点くんだ…」

真夜中の工場を見回るのは流石に気味悪く、次の日、明るい内に再び訪れた。
友人と2人、埃だらけの和室を開け、風呂場の戸を開けて、ぞっとした。

風呂の水が落とされていない。

ぬるぬると青みどろになっていて、埃に塗れ、荒れ果てていた。
空気もじっとり澱んでいる。
「工場を買った時、掃除をしなかったのか?」と訊くと、頷く。

何故此処まで放置されていたのか?
中国人の青年の許へ現れたおばさんの幽霊、地鳴り、足音、パイプの揺れ、それらは一体何なのか?

その後、友人はマンションに引越し、工場にはシャッターが下ろされた。
今も使用されていないと言う。




…怪談を聞いていると、幽霊の殆どは夜出現するように思える。
しかし昼から出現する幽霊も、少ないが居ると聞く。
という事は、実際には昼も夜も関係無く、そこに「居る」のだろう。
ただこちらの感覚が、昼よりも研ぎ澄まされる事から、夜に集中して見るのかもしれない。
例えるなら夜音色を聴く事で存在に気付かされる、草葉の陰に潜む虫達の様なものだろうか。

今夜眠る前に、耳を済ましてみてはどうだろう?
貴殿の耳に、昼には聞えなかった声が、届くかもしれないよ…。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『現代民話考5巻―死の知らせ・あの世へ行った話―(松谷みよ子、編著 ちくま文庫、刊)』より。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする