日本語教育史研究会が去る3月19日、天理大学で開催されました。この研究会のホームページは、トップに戻って「リンク」からたどれますのでよろしく!
そのとき、日本語教育関連の文献目録をいただいたのだけど、1936年を境に急増している様子。もっとも、すべて網羅しているわけではない(悪口ではなく、発行記録があっても現物がなければ掲載されていないから)ので、本当に急増しているのが1936年なのかという点は心許ないのだが、この年は、実は以前の僕の研究でも浮上してきた年だ。
まず、朝鮮総督府編纂の国語読本の改訂が行われた年であるということ。この改訂が全面改訂ではないとは言っても、採用された「標準語」が変化していたり、挿絵に政治色が強まるなどのおもしろい変化がみられていた。さらに、ラジオ放送において「国語講座」が始まったのもこの年から。1936年がどうしてこんな位置づけになるのか。ちょっと用心しながら資料を当たっていきたいと思っている。
科研の最終年度を迎えるに当たって、この問題を解決する必要がある。
資料の整理は、12月から2月にかけて学生アルバイトを雇ってコピーをしてもらった。まだ残っている部分も多いのだが、時間をみて作っていくしかない。それをデータ化する作業もあって、今年も忙しくなりそう。
日本語教育学会での発表は、とりあえず春の大会では行わない。ほかの学会や研究会での発表、論文の投稿はもちろんしようという意志はあるので、決まり次第、また報告します。
そのとき、日本語教育関連の文献目録をいただいたのだけど、1936年を境に急増している様子。もっとも、すべて網羅しているわけではない(悪口ではなく、発行記録があっても現物がなければ掲載されていないから)ので、本当に急増しているのが1936年なのかという点は心許ないのだが、この年は、実は以前の僕の研究でも浮上してきた年だ。
まず、朝鮮総督府編纂の国語読本の改訂が行われた年であるということ。この改訂が全面改訂ではないとは言っても、採用された「標準語」が変化していたり、挿絵に政治色が強まるなどのおもしろい変化がみられていた。さらに、ラジオ放送において「国語講座」が始まったのもこの年から。1936年がどうしてこんな位置づけになるのか。ちょっと用心しながら資料を当たっていきたいと思っている。
科研の最終年度を迎えるに当たって、この問題を解決する必要がある。
資料の整理は、12月から2月にかけて学生アルバイトを雇ってコピーをしてもらった。まだ残っている部分も多いのだが、時間をみて作っていくしかない。それをデータ化する作業もあって、今年も忙しくなりそう。
日本語教育学会での発表は、とりあえず春の大会では行わない。ほかの学会や研究会での発表、論文の投稿はもちろんしようという意志はあるので、決まり次第、また報告します。