小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

八重山諸島の生きものにふれる

2023年07月01日 | エッセイ・コラム

全く偶然に入った植物園だった(そこが西表島ではなく、あたかも「御出来」のように西表島に喰っついている由布島だったのは後で知る)。他のツアー客もいなかったし、同行する人たちの数は3,4人で、彼らはその濃密な亜熱帯空間を振りはらうように、どんどん先に進んで行ってしまった。

多摩動物公園の昆虫館や千葉の南房パラダイスの、閉鎖された空間を飛んでいる大ぶりの蝶は印象的だった。オオゴマダラ(大胡麻斑)が群れて飛んでいるのは、沖縄の自然環境であるから・・、当たり前といえばそうだが、ちょいと「アフォーダンス理論」という科学的な視座をもちだすと、話はややこしく深遠になる。

これは「環境が動物に提供するもの」という考え方で、この二分法だと関係性は絶対的ではなくなる(と思う)。我田引水、自己都合理論風にいうと、「この人の生い先は短いな、と周囲が感じると、その人の環境は自ずから変わり、調えられてゆく」といく考え方だ。ちょっと無理っぽいが、これはいま実感していることだ。(※別記)

もっと驚いたのはラテンアメリカ的な幻影を想像したこと。少し開けた空間に木枠が並んでいて、洗濯ばさみに一つひとつ金色に輝く蛹がぶら下がっている。この金色の妖艶な輝きに魅了され、そこにグアテマラのノーベル賞作家アストゥリアスの魔術的リアリズムの世界をふと想いだした。

蠱惑的な夢の世界を垣間見る、亜熱帯ならではの植生と空間の密度が凄い文学だ。アストゥリアスの『グアテマラ伝説集』にすこしふれる。マヤの神秘的な妖術をつかうシャーマンの息子は「金色の皮膚」という名前をもつ。彼は部族と部族を結ぶために、ある秘儀をおこなう。花咲く樹のもとで叙事詩を語り、歌い踊る。

「ゆるやかな黄昏もなく闇が迫り、樹幹の間を血の糸が走り、淡い朱が蛙の眼を映しだし、そして、森は蘇合香(スチラックスの樹脂、お香)やレモンの葉の匂いを発しながら、波うつ髪をたたえた、軟らかな、骨のない展延性の大きな塊と化してゆく」(『グアテマラ伝説集』より牛島信明訳)

▲「金色の皮膚」はやがて樹木の化身へと動かなくなる。今に伝わるこの図版を見て、人が樹木に変態するための「蛹」に見えないだろうか。

 

話が大きく斜向するのはいつもの慣わし。大目にみていただくとして、まあ、小生は恥ずかしながら、オオゴマダラの存在そのものを知らなかったし、蛹自体が輝く金色であるというレアな知識・興味さえも持ち合わせがなかった。

なぜ、金色のさなぎになるのか? 何を食べてそうなるのか? 正確な元素、化合物は何なのか? 同様の蝶はいるのか?

ネット検索すれば、ちゃんと書いてある。

➡オオゴマダラは幼虫の頃に、ホウライカガミという植物を食べています。このホウライカガミには毒がある為、そのホウライカガミを食べるオオゴマダラの幼虫も毒を持っているのです。そして、その幼虫がサナギになる。つまりサナギにも毒があり、この金色は毒があることをアピールしているのではと考えられています。ただ、あくまで推測の領域を脱してはいなくて、謎の部分も多いそうです。

以上だが、大部分が謎つまり分からないことが多いということ。食用のホウライカガミ(蓬莱鏡)にしても、台湾やマレーシアにもあるようでオオゴマダラが渡り蝶である可能性も高い。昆虫には金色が毒に見える? ほんとうだろうか?

 

 

▲オオゴマダラの幼虫

 

さて、本島の西表島は、多様な鳥類の生態で知られるが、ほとんどジャングルといっていいし、島の山側に分け入るには相応の準備が必要だ。こちらの体力・気力も求められる。マングローブ林の入口を探索するだけでもいい体験であった。その時に響き渡っていた、多くの野生の鳥の聲を記憶にとどめよう。

 

次に、石垣島、竹富島で目についた生き物といえば、牛をさしおいて他にない。何処かしこに牛の放牧地があり、その傍を通ればお互いに見つめ合う。子牛も親牛もつぶらな瞳で可愛い。島の間を行き来する観光用の牛車は、主に水牛があてがわれ、台湾から連れてきたようである。

細い石垣の道を水牛が器用に回ることができるのは、相当に訓練したものと思われた。しかし、車夫さんは何も特別なことはしていないという。「かれは外輪差と内輪差を、体でちゃんと分かるんですよ。何回か練習して失敗し、自分で体得して、大きく回って石垣にぶつかることなく道角を曲がるんです」と解説してくれた。自動車で回るとしてもぎりぎりのはずなのに、水牛はためらうことなく転回する。牛車にのる我々は「ほっー」と感心するばかりだ。

不思議なことがある。彼らは浅瀬を渡る道中、こちらに尻を向けながら車を引く。一度、水牛が尾っぽを上にして、糞を出しそうになった。すかさず車夫さんが収納してある板を取り出して、その部分を遮蔽して事なきを得た。不思議というのは、水牛のそれが臭くないのである。

石垣、竹富島にはどこかしこにも牛が飼育されている、それほどに多く感じる。移住してきた人たちが手軽に始められるとも聞いたが・・。一般的な家畜場にいくと、確かに家畜はそれぞれ独特の臭いをだし、飼育小屋などの環境はそれなりの強い臭いがあった。だが、ここの牛たちは臭いを感じさせない。海にそれをばらまくが、匂いを感じさせない。小生の鼻が鈍っているのか・・。不思議な牛がいるものだ。

 

 

▲外輪差と内輪差を意識つつ、水牛はゆっくりと石垣すれすれに大回りする。

 

別記:アフォーダンスとは環境が動物に提供するもの。アメリカの心理学者ジェームス・ギブソンによって構想された「生態心理学」によって生まれた概念。それ以前に、ダーウィンが珊瑚礁やミミズを自然環境との関係性で研究したことがベースになっている。身の周りに潜む「意味」であり行為の「資源」となるもの、それがアフォーダンスである。地面に立つことをアフォードし(afford=余裕をもたらす、与える)、水は泳ぐことをアフォードする。{講談社学術文庫『アフォーダンス入門』佐々木正人より}

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。