スペイン・ポルトガルの旅ー①
旅にはいろいろな形がある。人によっても違うだろうし、定義すること自体が馬鹿らしい。私にとっての旅も、これだというものはない。自分なりに望ましいと思うのは、ある期間滞在して、その土地の人、食べ物、文化や歴史といったものにふれることだ。
我が伴侶はそのことを首肯するものの、費用対効果、安全性、さらに我々の性格、体力、年齢などをゆるぎなく吟味したところ、大手旅行会社が企画するパックツアーを選択すべしとの宣を下した。
下された以上、私としてはその枠のなかで最善の策をたて、我が望みを傍に迷惑をかけずに達成しなければならない。
マドリッドに二泊する10日間の企画ツアーには、我が望みつまりアトーチャ駅にあるアントニオ・ロペス創作の「Day and Night」を目の当りにする余裕などさらさらない。
ただしアトーチャ駅は、ホテルからは地下鉄を利用すれば20分で行ける所にある。二日間の滞在で、なんとかやり繰りすれば、容易に目的は達せると目論んだのだが・・。
ところがである。マドリッドのホテルに泊まるにしても、70キロも離れたトレドへの往復などで、行動予定はびっしり埋まっている。すんなりと自由行動のとれる時間がまったくないのだ。それでも、アトーチャ駅近くのプラド美術館、ソフィア王妃芸術センターに行く間に、なんとか目的を果たす方策を見つけ出さなければならない。
夕食が終わってから行ってもいいが、暗くなってからではロペスの彫刻はたぶん闇に溶けこむはずだ。駅周辺はたいへん物騒で、観光客は鉄パイプで襲われることもある、と脅かす大手旅行会社ガイド氏の余計な忠告も、ふとこの頭によぎった。
なんやかんやがあって、当日の朝方に私は決断したのである。ソフィア王妃芸術センターの見学をとりやめる、と。
妻は見たがっていたピカソの「ゲルニカ」を諦め、同行するとも言ってくれた。その理由は但し、ツアーを離れた私が「不安だから」ということらしい。
自分としては計算づくである。いや、といっても正味、1時間半ほどの余裕しかない。
事前にアトーチャ駅の構内案内や地図をITから入手していたが、ロペスの彫刻がどこにあるのか分からない。美術雑誌にあったアトーチャ駅の訪問記事では、探し出すのに苦労し駅スタッフの好意による案内によって辿り着いたとあった。(「美術の窓」2013/5「アントニオ・ロペスの世界」より・渡辺香奈「刻の重なりが見える街」より)
細かい、面倒な話は御終いにしよう。
▲私からすれば、このロペスの彫刻をみること、触れること。それが旅の主な目的であったのだが、その後の旅でいろいろと、素晴らしい体験と発見があった。少しずつ、折に触れて書いていきたい。
(※)2001年アメリカの同時多発テロの後、アメリカはテロの首謀をアルカイダと認定。イラク、アフガニスタンを中心として、「テロリストとの戦い」を世界的に展開する。もちろんのこと、アルカイダ含めイスラム過激派は各地でテロ事件を起こし、遂に2004年3月11日にアメリカを支持したスペインへの大テロ事件は勃発した。このときの犯行声明では、日本も「十字軍」の一員として標的にされていたことを思いだす。テロは大規模な時限連続爆破で、マドリッド市内にあるエル・ポソ駅に停車中の電車で2つ、サンタ・エウヘニア駅では1つの爆発で客車が破壊された。さらに、マドリッドの中央駅アトーチャ駅から500mの地点で他の列車で4つの爆発が起こった。合計で10回の爆発で、朝の通勤ラッシュの時間帯のため被害は拡大し、191人が死亡、2,000人以上が負傷する大惨事となった。このテロ事件の犠牲者191名を悼み、アントニオ・ロペスは鎮魂したいと申し出たという。この作品の「Day and Night」という題名の意味するところを私は知らない。