小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

古本屋と水族館劇場

2008年03月20日 | エッセイ・コラム

 近くの古本屋でイベントがあった。「水族館劇場」という劇団の「鞍馬天狗」という小劇と、その演出家の桃山邑と、「世界屠畜紀行」で巷間広しめた内澤旬子との対談である。

「鞍馬天狗」はしっかりとしたストーリーがあるわけではないが、近藤勇と西郷隆盛の対決を軸に、旅役者一行と鞍馬天狗がからむ幕末の不安な状況を面白おかしく表現したもので、文章を書いてみても概括しようもできまい。個人的な印象では、近藤勇役は漫画の「こまわりくん」を意図的に彷彿させて、武士(権力)を揶揄する演出だ。さかんに「死刑っー」を連発していたのは観客には大うけだった。杉作役の女優はまだ10代とも思える初々しさがあり、その視線の純なところは見入った。もちろん看板女優の千代次さんのせりふ回しは相変わらずで、その説得力と求心力は健在でよかった。「水族館劇場」の芝居はまだ2回しか見ていないが、寺の境内をフルに使った、スペクタルな演劇空間を創造する。そして劇団の名前どおり「水」をふんだんに使った舞台装置は観客を驚喜させる。


 私はアンケートに「イデオロギー(武士思想)VS芸(文化)を設定し、やはり人々にとって必要なものは「芸」(文化)であり、時代を超えて存続するのではないか。そこのところを面白く演出されていた」みたいなことを書いた。

 今年も5月末から6月にかけて「水族館劇場」は駒込大観音で興行をうつ。「NOIR」という題名で、フランス語では黒あるいは暗闇の意味だが、実に楽しみだ。近所でこういう演劇が楽しめるのは幸せである。アングラ演劇を楽しんだ青春のころに回帰できることは私たち夫婦の楽しみにもなっている。


ところで内澤旬子と桃山邑の対談はなかなか興味深かった。「世界屠畜紀行」を私は未読であるし、分かったようなことは書けないが、出版元が解放出版社であり、内澤氏が革を扱ったワークショップを主催していたことも知っていたのであるが、彼女が屠畜の世界に踏み込んだことはある種必然であり、彼女の誠実さであろう。

一方、桃山氏もまた山谷などのいわゆるよせばで活動していることもわかり、また屠畜場の建設にも関わるなど現日本の禁忌ともいうべき世界につうじている。日本の暗闇にいまだに差別と偏見をもつ人が多数いることは暗澹たる思いがするが、言葉狩りをしてきた人たちにも私は憤りを感ずることもあって、こうした事柄は軽々に書くことはできない。それにしてもあの馬の首は、やはり本物だったとは驚愕である。


対談のテーマは「屠ることの、やさしさ」だったみたいだが、やさしさではどうしても収斂はできない、やはり「いたみ」であり「かなしさ」であると思う。飽食の時代にあって、食べることの真摯ないとなみを考えることさえ停止した私たちはいつかどこかでしっぺ返しを喰らう筈である。

 それにしても内澤氏は豚を飼い、そしてそれを食す決意を語っていた。私はこころから尊敬し、著作を読もうと思った。このイベントを企画した古本屋は「古書ほうろう」といい、スタッフのみなさんは素晴らしい人たちで、古本の棚も充実した知る人ぞ知る名店である。

「一箱古本市」というイベントも彼らの尽力によるもので、今年は私も参加することにした。

 対談のあと軽くいっぱいいただきご機嫌になって、これまたジャズがBGMで流れる古本を売るカフェにいった。この店も面白くいつかこのブログでかくこともあろうが、思いがけなく探していたトドロフの「バンジャマン・コンスタン」をご主人が見つけてくれていた。楽しいことが連鎖すると夜が更けるのはまことに早い。




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