小生の育ての親というべき母方の伯父は、植村直己が所属した登山部の先輩だったらしい。山が好きで、スキーも好きで、写真撮影が好きだった。カメラにまつわる思い出、触感などがよみがえる。
谷川岳で転落して、そのとき耳が切れた傷痕をみせながら、山をなめたら駄目だぞと、そのときの自慢気な、でも真剣な眼差しは忘れない。
その伯父が、この6月に98歳((当初96歳と記、母が生存したらの年齢)で亡くなった。その長男つまり従弟から電話があり、その死の身罷られる詳細をきくことができた。
共に生活したときに、満州での戦争体験、伯母の家族との交流、戦後のあれこれ、妹である我が母とのエピソードetc.など、本人からは断片的に聞いたのだが、実は聞きたかったことは聞かずじまいであった。それで良かったと思う。
山を登ることの素晴らしさよりも、お前はもっと勉学に勤しめ・知見を蓄えといった伯父。その教えにしたがったわけではないが、山の景色の鑑賞や安全なハイキングを専らとした我が人生である。今回の北アルプスの一端にもふれる旅は、また新たなる感慨を甦らせてくれた。伯父が北アルプスに関しては、憧れをもって話したことがある。遠い昔のことであり、小生は高山に登った経験はない。
この黒部、北アルプスといわれる日本の山々は何処から見ても美しい。
小生はテレビ等を見たり、本を読んだりして追体験するだけの、外部の人間であるが、槍ヶ岳とか穂高連峰の山々を包含する北アルプスをのぞめる場所にいた、そのことだけで満足する人間である。これからの人は、知識も情報も豊富で、高位や効率をもとめるのであろう。その時に失われる何か、変数、あるいは毀損されるネットワークみたいなものに想像力を拡げてほしいと願っている。
下に載せる写真とは、縷々しるした上記のこととは関係ないことを、予めお断りしておく。
ま、いろいろあって、いちおう言質をとられるつもりで記しておく。ともかく、北アルプスは日本ではない、日本の凄き自然がある。黒部は確かに、人間(外部の人間)が強引に侵食した地であり、そのこん跡と人間との格闘が刻まれたモニュメントなんだろう。
あらためて、ここに記しておこう。亡き伯父と、吉村昭に感謝の念しかない。
▲中央やや右側、三角の尖った針ノ岳、その左にスバリ岳、やや空いて赤沢岳、鳴沢岳。眼下に黒部湖。
▲ダム建設では多くの方が犠牲となった。この慰霊碑を見るたびに吉村昭の『高熱隧道』を再読したくなる。
何を考えているんだろう。スウェーデンのミステリーサスペンス『ミレニアム』のリスベットに近いと本人はいう。
総じて高齢者の語る昔話はつまらないものと受け取られがちですが、その実、高齢者は次の世代に何かを伝えようとしている部分もあるのにな、と感じる事が多々あります。近所の高齢者施設で、シベリア抑留を経験した見ず知らずの老人に戦時中の話をされてしまい、当惑しましたが写真まで持ち出して私に何かを伝えようとしていた事がありました。
世代を超えて伝えたい事柄というものがあるのに、どうも、それが巧く機能しない、やはり、分断は進行しているのだなって感じますね。
伯父様の訃報が3件だなんて、コロナ禍も影響しているのでしょうか。お悔み申し上げます。
コロナ禍ゆえに葬式を避けて密葬することが多くなりました。儀式によって弔うことに馴れているので、なんか空洞感ができて落ち着きません。しょうがないことですが・・。
高齢者が何か話したいことがあるようなら、それを聞くことは大切なんじゃないかと、年1回そんな集いがあるんですが、それもコロナ禍で中断したし、今年からは接触しない方法で行われるようです。
「世代を超えて伝えたい事柄」って、今の時代は、それがたとえばブログなんでしょうね。市井で生きるささやかな個人的な営みですけど。