抗がん剤の影響かとおもうが、手と足の筋力がみるみる失くなった。何かに掴まっていないと安定した姿勢が保てない。杖を使えば、辛(かろ)うじて歩ける。だから入院中には、X線検査やコンビニの買い物に行くときなど、介助してもらって車椅子を利用するように提案された。実際に利用して実感したのは、その便利さ、快適さはもちろん、介助していただく方への感謝である。そして、他人の憐み、同情の視線なぞはあまり感じない(ゼロではなかった)、むしろ優しさを含んだ無視であった。
退院したばかりの頃は、自分用の車椅子をよく利用して外食なぞに行ったものだ。千葉の美術館に出かけたのも忘れがたい思い出になった(この辺りのことは当ブログに記している)。
その他にも、車椅子や障碍者のことを考え、断片的ではあるが二、三のエピソードを備忘録として残しておきたい(この記事をまとめるだけでもかなりの日数をかけてしまった)。以下、〇をつけて書き分ける。
〇かつて、年老いて歩行の困難な伯母に旅に行こうと提案したことがある。もちろん車椅子をつかっての旅行計画。事前に下調べし、段取りさえも決めていたが、伯母は頑なに拒否した。他人様に迷惑をかけてまでの旅は、心から楽しむことができないと涙ぐんだ。そうかもしれない、昭和3年の生まれ、満州から引き揚げた伯母にとって、車椅子での移動は想像を絶する至難だったのか・・。
〇故橋本治は身体障碍者の社会との関わり方を、「健常者にとっての社会が標準だと考えるな」と力説していたことがある。「障碍のある人は不自由な人ではない。国や社会が、不自由につくっている現実が不自由なんだよ」。
「障碍をもって生まれる、事故などで障害をうけることは誰にも起こりうること。万人にとって不自由でない社会を想定してつくられるべきで、誰もが不自由を感じない想像力が求められる、それが社会の根本ではないか。」そんなことを治ちゃんは、何かの本か、対談で述べていたと思う。
〇さてさて。冒頭に書いたように、小生は介護認定を受け、自分用の車椅子をもっている。いわば当事者である。そこで、思い出したのが昔のNHKドラマ、鶴田浩二主演の『男たちの旅路』だ。
高齢者や障碍者など社会的弱者をドラマの骨組みに据えて、当時あまり触れたがらないテーマに正面から取り組んだ、脚本・山田太一による本格ドラマだった。俳優陣もベテランから新人までかなり多彩で、それぞれが演技達者で印象に強く残っている。志村 喬、赤木春江のベテラン勢、桃井かおり、水谷豊、古尾谷雅人など当時話題の新人たちが出演し、かなりの視聴率を稼ぎだしたドラマだったが・・。実際にはどうだったのか?
1976年から1982年にかけて、4部に分けて全13作放映され、そのなかの『車輪の一歩』という作品は、車椅子に頼る若者集団をあつかい、特に斎藤陽介を軸にした青春群像ストーリー。彼らのゆれ動く心情や本音がリアルに伝わり、実社会における立場、その不安定さが丁寧に描かれていた。障碍をもつ彼らが遭遇する解決不能な社会問題、理不尽な決まりごと、健常者への嫉妬、反感など、彼らの苦悩は深刻だ。私たち健常者の心に直に刺さるべく、障碍者問題をはじめて身近なテーマとして取り上げた記念碑的な作品といえよう。
〇このドラマで鶴田浩二は何を語り、どんな演技をしたのか・・。
うつむき加減にちょっと声を震わすような独特なセリフまわし。真摯に静かに、諭すように時に叱るように・・、軽薄な若者ことばで喋る水谷豊や桃井かおりたちも、しぜんと耳を傾けてしまう。70年代後半には、こうした男たちが健在であった。
どういうわけか、小生は鶴田浩二にすっかり感情移入してしまっていて、特攻崩れのゼロ戦乗りや義理と人情で生きるやくざの気持ちさえも理解できる。矜持もあれば恥も知っている。そんな「含羞」を理解できる人、このご時世、あまりいないだろうな・・。いや、度が過ぎたこんなアナクロ、どうか笑ってくださいな。
〇ネットで調べてみたら、こんなエピソードがあった。
「君たちは特別なんだ。もっと迷惑をかけていい。いや、迷惑をかけなければならない」。このセリフを鶴田浩二に言わせたくて、NHKもしくは山田太一がオファーしたのだそうな。(「君たちは特別なんだ」は、ちょっと引っかかるな。追記)
現場のガードマンの長・吉岡司令補=鶴田浩二は斉藤洋介に毅然として語る。「私はこれまで他人様に迷惑をかけてはいけないというルールを疑ったことは一度もなかった。ひょっとすると、この世で一番疑われていないルールかもしれない。しかしそれが君たちを縛っている。ルールを破れ、破る勇気をもて、君たちは破っていいんだ」と。
社会のルールに則って公共のエリア、民間会社の24時間警備にあたるなど、当時のガードマンは新興の職業であり、いわゆる安心と安全を提供するのが仕事。といっても、当時は社会的な評価は定まっていなかった気がする。だから、上の鶴田浩二のセリフは、説得力が凄まじいのだ。そして、泣けるほどカッコいい。
山田太一『男たちの旅路 車輪の一歩』斎藤洋介
「車輪の一歩」のエンディング・ビデオもあったが、どうもお涙頂戴的なシチュエーションなのでカット。その代わりに、水谷豊が上司の鶴田浩二の生き方をなじる場面があった。山田太一的な独特のねっとりしたセリフ回しがいい。戦争を美化する癖のある上司に対峙して、それを日頃C調(軽佻浮薄)な水谷が正論を吐く。このロングカットの部分だけをYouTubeにアップする奇特な人もいるものだと感心。NHK作品だから、いずれ視聴不可能になるだろう。今のうちということでよろしく。
男たちの旅路(何話なのか不詳)
追記:『男たちの旅路』シリーズはNHKオンデマンドだけでなくU-NEXTでもシリーズで視聴可能とのこと(31日間無料トライアルがある)。つまりは、どちらも最終的に無料ではないということ。
〇過日、妻が『サグラダファミリア展』に行きたいと言い出した。6,7年前にスペインに行き、実際にサグラダファミリアの聖堂の中へ入って、荘厳かつ色彩的なガウディならではの建築を体感した。そんな実体験があるのに、わが妻はふたたび『サグラダファミリア展』に行きたいという。今度の展覧では、もっと細部の何かを発見できるかもしれない。一緒に確認したい。体調が悪く歩けないなら、車椅子を押すことも厭わない。だから、ぜひとも一緒にと誘われた。
その一週間ほど前だったか、天皇皇后陛下が『サグラダファミリア展』を訪れた報道があった。たぶん、集客にいちだんと拍車がかかったに違いない。人がごった返すなかに、車椅子で廻ることを考えると気が重くなる。地方の小さな美術館ならまだしも、人々の迷惑になることは分かっている。但し、これは車椅子を自ら排除する考えであり、車椅子で生活する人々への侮辱、差別につながりかねない。
そうなのだ、周りに迷惑をかけたくないと思い、杖を使うことをえらんだのは、車椅子に乗る方への冒涜に等しいのか・・。自分はなんと浅はかで意志の弱い人間だ、とつくづく苛んだ。実際にはしかし、車椅子を使わなくて正解だったかもしれない。車椅子に乗る方は見なかったし、足の踏み場のない混雑した会場では、どちらもある種の忍耐を強いられる。
〇車椅子の利用者を考えれば、限られた時間帯を設定した方が、不自由の少ない観覧システムができるのではないか。たとえば時間制を導入して、むしろ両者を分離する。その方が気兼ねなく鑑賞できるし、より効率的であり、つまらないトラブルを生まないかもしれない。ここは一つ合理的に考えた方が、スマートな結果が生まれるのか・・。もちろん、人口比で調節したら、1か月に1日だけのほんのわずかな時間帯が予想できたのだが、それがまた新たな争点になるかもしれない。
いや、いろんな人が混じる、そんな多様性が尊ばれるインクルーシブ(包括的という)システムを生みだすことこそ本来の理想なのか・・。
〇原一夫監督の『さようならCP』という脳性麻痺の青年をフューチャーしたドキュメンタリー映画をふたたび思い出したりした。
原一男監督の『れいわ一揆』公開迫る
車椅子で行くことをビビったことは、ちょっと小さな慚愧だ。へたな悔いを残さぬよう、近ごろは杖も使わないように歩くことにしている。そのかわり遠方に出かけるのは避けたい。リハビリにもっと時間をかけて、筋力を増強しなければ前に進めない。
迷惑をかけるぐらいの気概をもって車椅子に乗れ、自分よ!
★『さようならCP』の予告編を見つけたので、参考までに貼り付ける。
原一男監督デビュー作『さようならCP』DVD予告編 急進的な障害者団体をカメラで追った傑作!
■サグラダファミリアに関する写真など
以上、東京近代美術館の『サグラダファミリア展』。
以下は6年まえにスペインに行ったときに撮ったもの。
橋本治、「健常者にとっての社会が標準だと考えるな」と力説、さすが治ちゃん!です。(私も彼のことを"治ちゃん"と呼んでいるひとりです。笑)
杖をつきながら単身帰国したとき、羽田でそう実感することがありました。
車椅子は利用せずに済みましたが、私は迷惑かどうかすら考えずに過ごしていたように思います。周囲の空気がそうさせてくれていたのかもしれません。時間内に信号を渡りきれないときはドライバーがゆっくり歩きなさいと視線を投げてくれたり、地下鉄やバスでさりげなく席を譲ってもらったりしていました。担当医に「(精神的に)キツくないですか?カウンセラーの先生もいらっしゃいますよ」と言葉をかけられ、「その必要ありません。大丈夫です」と答えたところ、「あなたは大丈夫でも連れ合いの方が苦しい場合もあるのですよ」とやんわりと言われたときには穴があったら入りたかったです。抗がん剤治療や検査通いだけで精一杯のまったくの自分本位であったことに気付かされ大いに恥入りました。
体力的にお厳しい中、小寄道様の思索、自己洞察の姿勢もさることながら、奥様への思い、寄り添っていらっしゃる奥様の気配、文中から漂ってきます。
「いろんな人が混じる、そんな多様性が尊ばれるインクルーシブ」そのような社会空気を自分自身でも纏うように心がけます。
原一男のデビュー作、知りませんでした。教えてくださりありがとうございました。
行間まで読み取り、内面のことまでお察しくださり、心からお礼を言いたいです。
Jeanlouiseさまについては、個人的には何も存じ上げませんが、私の身体のことをご心配いただく気づかいが、何故か他人事でないシンパシーを感じておりました。
決して不治の病ではありませんが、生きていく上で、様々な不自由、やりきれなさを体験するのですね。
Jeanlouiseさまも同じような艱難を乗り越えてきて、今の豊かな人生観をおもちだと思います。
これからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。