明けましておめでとうございます。
新年を飾る年賀のイメージは、ありきたりの梅の花を借りた。昨年から地元の景色を背景にすることをあきらめ、干支の雰囲気だけで正月らしさを演出したのであるが・・。
2024年、令和6年の干支は、空想上の動物である「竜」なので、ついに弾が尽きた。梅に似合う「竜」はなかなか見つけられなかった。
清少納言は書き残した。「ただ過ぎにすぎるものは、人の齢(よわい)、春夏秋冬、帆上げたる舟・・」
すべては過ぎていく、時の流れも、人の生き死にも。帆上げたる湖上の舟は、しーんとして動いてないように見える。夢のなかでぼんやり浮かんでいて、少しも過ぎ去っていかない。永遠にとどまっているかのように見える。ただそれはその時のこと、齢をかさねれば違って見えるかもしれない。俯瞰的にみればそれは過ぎ去りし舟なのだ。
すべては過ぎ去りてゆくものだが、考えてみればそれらは巡るものでもある。植物の花はまさにその象徴である。来たるべき季節を迎え、蕾をひらき、美しい花を咲かせる。やがて実となり、その種は次世代へと受け継がれるために、大地のもとで発芽する。生の循環はダイナミズムであると同時に無常の儚さを孕んでいる。それもまた「C'est la vie」であろう。
表題は新年句である。
初天神ひそりと梅は陽だまりに
初富士や頂めざしたあの日へ
上の句は、季語を重ねているが、率直に詠んでいる。精進が足らないのは下の句も同じ。破調である。中学の林間学校だったか、愚生は富士登山を経験した。ただし、登頂を成し遂げることはできなかった。女子の多くが体調に異変を起こし、全員で下山することになった。それ以来、富士山に縁遠くなってしまった。体力のあるうちに登っておくべきだった。まあ、都内には富士に見立てた小山や神社が幾つかある。そちらの方を今年の目標にしようかと思う。
新年からご心配いただき、誠にハッピーな気分にひたりました。
体調は変わりませんが、外気にふれると息苦しいので、近ごろ家にこもっています。
春が待ち遠しい。
可憐な梅の写真に癒されます。
その後ご体調の方はいかがでしょうか?
どうかくれぐれもご無理なさらずお過ごしください。