竹下節子さんのブログ『L'art de croire』では、このところ「ウィーンの話」が連載されていた。ウィーンといえばオーストリッチじゃない中島義道? いやいや、神聖ローマ帝国すなわちハプスブルグ家だ。スペインからポーランド、チェコあたりまで、ヨーロッパの何たるか知るには、パリでもローマでもないウィーンをめざしてこそ真正に至る? 有名な聖堂や教会の数々、国立図書館のフリーメイスン展、ヴェルベデール宮美術館など20余りの記事を書かれ、いずれもが興趣に富む。写真も多く紹介され、目にしたことのない貴重な美術品、聖堂の内部を見ることができた。個人的にも国立図書館のフリーメイスン展について質疑応答をさせていただいた。(※別記1)
さて、これら「ウィーンの話」のなかで、私としてもっとも興味をもったのが、ベルヴェデーレ宮美術館に所蔵されているフランツ=クサヴァー・メッサー シュミット (1736-1783) の『個性の顔』と呼ばれる不思議な頭像である。初めて知った彫刻家であり、作品の表情がきわめて特長があり印象的。ヨーロッパ美術史において出色の異端彫刻家といえる。クリムト(※1)やシーレではなく、このメッサーシュミットの作品を竹下さんが取り上げたのは、やはりウィーンのフリーメイスン、モーツァルトを中心とした人的ネットワークも関心の的であったと推察される。
▲モデルは誰なのか、メッサーシュミット本人なのか? ただ今、調査中であるが。
ナイジェリアから売られてきた黒人奴隷アンジェロ・ソリマンがウィーンの名士となり、フリーメイスンでもその存在を示したのは60歳の頃。そこに25歳のモーツァルトがメンバーとなる。ウィーンのロッジは秘密結社というより音楽サロンであり、芸術家や文化人が集った慈善ロッジだったという。そこに「動物磁気」による治療でパリで一世を風靡した、催眠術や精神分析の先駆者フランツ・アントン・メスメール、その友人であるメッサー シュミットも出入りしていた。この辺の話は竹下氏のブログに詳しく、たいへん魅力的に書かれている。
さて、メッサーシュミットは若くして王立アカデミーの助教授になり、ウィーンの貴族や知識人らの肖像の注文を受けていた。その腕は高い評価を得ていたのに、人間関係が破綻して解雇され、ウィーンから去らざるを得なくなった。その大きな理由には、メッサーシュミットが精神の病を患っていたからだと、後年になってから精神分析医によって診断が下された。
統合失調症あるいは妄想性精神障害という病名で診断されたが、メッサーシュミットは47歳で肺炎で死ぬまで最後まで制作に破綻がなかったという。「頭像における様々な感情の表現は、無意識の自己治療」という見方も、私にはさもありなんと思われる。
ウィーンの名士たちの頭像を作っていたメッサーシュミットに何が起こっていたのか?
これからが自己流の解釈、憶測になる。18世紀の中頃、その頃の貴族、知識人と云われる人たちの表情は、何ごとにもたじろがない威厳やら品位に満ちていたと思う。悪く言えば、鼻持ちならない典型的な「顔立ち」だったのではないか。
要するにペルソナ、仮面をかぶっていた。その外見的な表情、威容と高貴に満ちた「顔」は、メッサーシュミットにとって、誰彼となく一様に見えていたのかもしれない。
メッサーシュミットはたぶん、注文主の個性や「顔」のオリジナリティを何とかして写し取りたいと願っていた。それを仕上げることこそ、芸術家としての技量、矜持を発揮できる。しかしそれは独り善がりだ。作らせる側の貴族たちにとってみれば、自分のいちばんの「顔」こそ作ってほしい。それ以外に何の望みがある。
フランスの哲学者、ガストン・バシュラールがこんなことを書いている。
ある顔の下におのれを隠しているものをそれと見分け、ある顔を読み取ろうとするや否や、われわれは暗黙のうちにその顔をひとつの仮面とみなしている (『夢みる権利』より)
メッサーシュミットは、読み取っていたのだ。モデルの顔の下に隠れている内面性を。彼は注文主に要望したのかもしれない。「もっと、あなたらしい表情を!」と。
しかし、そんなやりとりがあったとしても、両者には齟齬が生じ、良好な関係は維持できなくなる。結局、メッサーシュミットが折れることになり、ストレスも溜まる。人間関係は悪くなり王立アカデミーの助教授という地位も捨てて、ウィーンを去ることになったのではないか。
ベルヴェデーレ宮美術館に所蔵されているメッサーシュミットの一連の頭像は、忌まわしきウィーンの創作を抹殺したいがための内的衝動、あるいは不均衡をコントロールするための自己の精神治療であり、芸術的イデアの創作の発露であった。私の見立てではそうなる。
いまでこそ「変顔」といわれるジャンルが現代にもあるが、「顔」のもつペルソナ性をあばく果断な表現、新たな芸術でもあるのだ。その意味でもメッサーシュミットは先駆であり、オーストリア人であることにこそ意味がある・・。
▲竹下節子さんが撮った頭像写真を転用させていただく。
私は最初、竹下節子さんが撮影したメッサーシュミットの作品を見て驚愕した。2日にわたってブログに紹介されたのだが、しだいに目が慣れたというか親しみさえ湧くようになった。そして、不思議なことであるが、伎楽面が思い出されてきた。東大寺での伎楽をテレビで鑑賞したこともあるし、正倉院はじめ奈良時代における伎楽面は各寺に所蔵され、それを美術書で見たときの印象は鮮烈であった。
伎楽面は中国のものらしいが、いうまでもなくシルクロード経由の中央アジアが起原。或いは、古代ギリシャの仮面劇との共通性などが指摘されたが、詳しいことは何も分っていない。
日本の古楽の面は、7世紀はじめ推古天皇の頃に仏教と共に仏教美術のひとつとして伝わった。 最初に伎楽と共に「伎楽面」が伝わり、のちに雅楽の「舞楽面」、大衆に功徳と法悦を与えるための行事に用いる「行道面」が伝来したとされる。 その後、11世紀になると能楽や狂言が発生し日本独自の面も数多く生み出された。
つまり、オリジナルの面・古楽面は伎楽を起原とした面で、その多くは現在、奈良の社寺や正倉院などに所蔵されている。メッサーシュミットにこそ見てもらいたかった。私には、彼の破顔が目に見えるようだ。
▲上記の伎楽面は明らかに西方由来の人物をイメージする。顔の造形がモンゴル系アジア人ではない。
(※1)ベルヴェデーレ宮美術館に所蔵されている是非とも見たいクリムト作品のひとつ。ご婦人は内面の美しさ、精神性の豊かさを素直に表に出す。男には、なぜそれが出来ない。いや、クリムトの観察眼が凄いのか。
(※別記1)竹下氏との交流ブログ:Forum3(http://8925.teacup.com/babarder/bbs)にて、フリーメイスンに関する数件のコメントを交わした。そのとき、自分の浅学菲才を曝すことがあり、そのことで竹下氏に余計な追記を書かせてしまった。その後、何冊かの氏の著作を読んでみて、「ユダヤ人陰謀説」における偏向バイアスの所在に気づき、改めてフリーメイスンの本質を改めて理解しなおした。自分なりの見解を近々ブログに記してみたい。