近隣にあるソメイヨシノが満開になった。昔、というか江戸時代では、桜といえば吉野桜であった。吉野に咲く桜が日本の代表であり、本居宣長はそれを自己と同一視して、自分の墓に植えさせた。
さて、歌舞伎の「義経千本桜」には桜など一本もでてこない。舞台の書き割りに描かれているだけで、だからこの千本は卒塔婆千本であろうと、どこぞの本で読んだことがある。梶井基次郎は、桜の樹の下には死体が埋まっていると云っていたが、墓地の桜は育ちがよく、きれいなのはそのせいか・・。
ソメイヨシノは、駒込染井の植木職人が品種改良してつくったもの。同一種を挿し木にして増やしてゆく。つまりクローンだから、同じ時期に一斉に咲く。この季節には、日本人は一様に桜に心を奪われる。「こんなに世界をのっぺりとした一つの世界にしてしまって、どこまでも美の悦楽をくり広げていて、よいのだろうか」と、『令和』という元号の名を考案したといわれる中西進先生は書いていた。
同感だが、桜を愛でる気持ちは、日本人のDNAに組み込まれてしまったのだ、という噂は本当なのかもしれない。
▲散歩コースの谷中霊園 飲食が禁止になって静けさをとりもどした。
▲一週間程前の駒込六義園の枝垂れ桜
▲同じく六義園
▲近所の長明寺の枝垂れ桜。実はほぼ1か月前の七分咲きの頃のもの。
▲令和の世になって今日、長明寺のそれは葉桜となっていた。
▲根岸の方で見つけた。同じ樹に二色の花が咲くという源平桜というものらしい。だが、厳密には桜ではなく、梅か桃が正しいと。昔、早稲田で、三色の花を咲かせた桜を見たことがあった。それも桜ではないのか・・。
▲谷中墓地のソメイヨシノのトンネルの下で負けじと咲いていた石南花?
▲自室から眺める桜が、やはりお気に入りだ。