小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

雪の後、空の彼方に

2016年01月19日 | 日記

 

 

沖縄の国頭村(くにがみそん)、辺野古よりも北、かつて秘境と言われたヤンバル(山原)の麓。もう四十年ぐらいまえのことだから場所を特定できない。

農家のはなれを宿にして、ほぼ三か月ヤンバルのなかでアルバイトをした。ダム建設の測量の仕事だった。はやい話が鉈で木を伐採するだけ。

夕飯をたべ、シャワーを浴びた後も疲労は残っていた。オリオンビール片手に、石垣に腰かけて夜空をみる。

圧倒的な星空。満天の星。輝く星の絨毯。それを切るような、一瞬の流れ星。

いつまでも見ていられる。疲れをわすれる気持ちいい脱力感。身体が、空という自然に、無数の星たちに無条件につつまれるという至福。

さきほど自室の窓を開け、晴天の寒空をみあげたら、なんーも見えない。目を凝らしたら二つ三っつ見えたが、愕然として自分の視力と、東京という生地を呪った。

そう、あのとき夜空いちめんの空をみて、悠久のときの流れを、はじめて星空を観察した人のことを想像したのだ。

星の位置をおぼえた人、星座を考えた人、それをもとに占いをはじめた人、いや物語を、神々を想像して神話を紡いだ人たちのことを、心からうらやましく思い、尊敬した。星空はギリシャ神話で網羅されていたか・・。

いまや年喰ったら、夜空をみてもほとんどなにもない。こんな情けないことありゃしない。でも、空をみる癖はまだある。

雪が降ったあと。台風が過ぎたあと。雨が降ったあと。たいてい、いい天気だ。天の気をいただこう。

空を見るのは好きだ。外に出たときはまずは上を仰ぎ見る。気持ちが漲る。

 

 

 ※夜空を撮る技術がない。散歩も天気のいい穏やかな日に限られる。だから、晴れた青空しか撮れない。(去年の写真)上天気といっても、雲がある方が好ましい。速くても、ゆったり流れていても、雲を見て飽きない。私は天邪鬼なのだ。どこにでもある地名・富士見坂であるが、ここはわが町の坂上。いまや高層マンションが出来て、ダイヤモンド富士はのぞむべくもない。

 

 

 


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