小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

岳父の死

2014年09月16日 | 日記

 今朝、岳父が故人となった。転院してほぼ一週間で帰らぬ人になった。
 葬式はこれからであるし、少し落ち着いてからブログに記すつもりだったが、臨終に立ち会えなかったので、冥福を祈りつつ言霊をとどけるつもりで書こうとおもう。

 人は、死の直前つまり末期のとき、最期のときが来たと認識できるのだろうか。
 岳父は朝食を自分で食べたあと、看護の方に「もう、私は寝ることをやめますから」と云ったとのこと。
 もうかなり前から眠って過ごすことが多くなり、この言葉の裏には死への自覚が現れている。医師もそう判断したそうだ。
それから意識がなくなって行き、血圧は極端に低下し、われわれに連絡がきた。

 岳父はそれからほぼ1時間後に亡くなった。91歳だった。

 背は高い方で姿勢が良かった。それでいて誰に対しても腰が低く礼儀正しい人だった。
この私に対しても敬語を使うぐらいで、威厳とか尊大なところを見たことはまったくなかった。
「素晴らしいですね」が口癖で、そういえば否定的なことはいっさい聞いたことがなかった。
 彼の器量を尊敬し、学ぶところは多大であったから・・。まことにやるせない。

 ただ頑固なところがあって、そんなことに拘泥するのは窮屈ではありませんかというと、
「いや、私がきめたことですから」とまなじりを決することも度々であった。
なんか長くなってきそうだ。

 生きることは何か。人間のつとめとは何か。

 そういう問いとは無縁でありながら、戦争を体験し結婚し、家族を愛した。
ただただ実直に生き、「人としてのつとめ」を立派に果たしたのだ、とわたしは思う。

 いま、永遠の、大いなる休息をむかえた。

 冥福を祈ります。合掌


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