詩人長田弘が他界して一年半。彼が亡くなる四日ほど前に全詩作をまとめた本が、そして、やや遅れてタイトルそのもの「最後の詩集」が出版された。また、書評集「本に語らせよ」も去年の8月15日に幻戯書房から出版。これで最後かと思われたが、先月に未収録のエッセイ集「幼年の色、人生の色」が出版された。いずれもみすず書房からである。
このエッセイ集はゆっくり読んでいこうと思っている。「21世紀の『草の葉』」という短いエッセイがあり、ボブ・ディランについて書かれていて、これだけ集中して読んだ。
読んで驚いたことに、2014年のディラン来日のとき、長田弘はお台場のゼップ・ダイバーシティ・トーキョーに行っていたのだ。2時間立ちっぱなしでディランの歌を聴いていたとは凄い。同日であるかどうか知らないが、私もそのライブに行き、涙滲むまでに聴き惚れた。その時の感動を、ブログにも書いたことがある。
長田はすでに病魔に侵されていたはずで、このとき74歳であった。疲れを覚えるのを忘れて、デイランに魅せられたと書いている。
1978年の武道館ライブのときにも長田弘は出かけ、ディランの歌に新鮮かつ衝動的な感動をうけたらしい。私はそれを読んでいないし、彼がディランをそれほどに好きだったということを、初めて知ったくらいだ。
ちなみに長田弘の日々の仕事のなかで愛聴した曲とは。 Like A Rolling Stone 合掌
『アメリカーナ』の精神の中核には、19世紀南北戦争の時代に生きたウォルト・ホイットマンがいる。彼の詩集「草の葉」は、英語ではなくアメリカ語を意識した言葉づかいであり、アメリカの自然、地理などと一体となった表現が特長である。ホイットマンの「草の葉」における詩句の表現が、ディランの詩(歌詞)と通底しているという分析も、長田らしい丁寧で的を射たものだった。
『アメリカーナ』はまた、「生きる仕事の歌」つまりワークソングという古い労働歌を継承するもの。これはやがてカントリーソングとなり、ウディ・ガスリーやハンク・ウィリアムズらが吟遊詩人のように歌い、多くのアメリカ人に共感をもって迎えられた。(フォークロアとしてのアイリッシュ・ケルト音楽について長田はふれていない)
デイランは少年のときハンク・ウィリアムズを師とならい、ハンクに自分を重ねて歌づくりを始めたことは、つとに有名。しかし、デイラン自身はいまはもう、「何らかの新しい方法で自分を表現するよりも、自分がいる場所をしっかりしたものにすることが重要だ」と表明し、アメリカ伝統のカントリーミュージックをことさらに強調しない。
そのディランは正式にノーベル文学賞の授賞を受諾し、式には欠席ながら受賞のスピーチを発表した。
彼はヘミングウェー、カミュ、トーマス・マンなど名だたる文豪に影響を受けたと書いているが、じぶんの曲なり歌詞がノーベル賞に価すると考えたこともなかったという。ただディランの非凡なところは、シェイクスピアを引合いにだして、劇そのものや舞台上で語られるセリフについて、歌詞の創作との親近性、ニュアンスについて書いていた。
戯曲は本になるが、舞台での役者が語る言葉そのものは、その場の空気に溶けこみ消失してしまう。歌われる歌詞は、人々の耳、心に届いたとたんに消えてゆく。紡がれた言葉、文字に記され読み継がれる文学作品の言葉と、その場で消えてゆく歌の言葉とは、受けとめ方がかなり違う、と。デイラン自身は、文学のもつ言葉の力、重みを称讃している。謙虚さを前面に押し出している、そんなディランが素晴らしい。