小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

物売りの声

2005年10月01日 | エッセイ・コラム

 この一年ほど豆腐売りの声が響いている。それも若い女性の声だ。張りがあって、澄み切った声。そして、独特の「トーフィー」という喇叭を吹く。
 「おいしい豆腐はいりませんか」と、丁寧な言葉づかいに思わず耳をそばだててしまう。家の中にいても、ああ頑張っているなと、彼女の元気な姿を想像し、微笑ましく思う。
豆腐屋の彼女はお世辞にも美人とはいえない。体つきも逞しく、眼鏡をかけた風貌は、とても豆腐を売っているとは思えない。すれ違う誰彼となく「こんにちは」と声をかける、その礼儀正しさは今どきの若い女性にはないものだ。

 私の勝手な想像だが、彼女はちょっと前はパンク少女だったのではないか。彼女の姿かたちにパンクファッションはピタリ嵌る、と思う。
 あの美しい声はパンクには似つかわしくないが、秘めたエネルギッシュを感じる。
 私の想像は膨らむ。
そのパンク少女は、権威への反抗とかアイロニカルな生活心情を捨て去りたいと、ある日ふっと思い、下町で豆腐を売るのは面白いのでは、と突然ひらめいた。
やってみたら結構売れるし、お腹から声を出し、喇叭を精一杯吹くのも好きだ。
下町の路地を歩き回っていると、お年寄りやら子供が応援してくれる。
ちょっとウザイが決して嫌いではない。ずっと続けるつもりはないが「飽きがくるまで」やってみよう。

 この2,3日彼女の声が聞こえない。
 今日は日本晴れの秋空である。
 家でのんびりと本を読んだり音楽を聴いたりしていた。そのうち「トーフィー」の喇叭が聞こえてくるかと、なぜか心待ちしていたのだが・・。
 隣町に行ってるのか。明日は来るだろうか。で、仕方なく志ん生の「唐茄子屋政談」ではなく三木助の「ざこ八」の落語をきく。


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