我慢して読んでいなかった原作マンガ、こうの史代の「この世界の片隅に」下巻を読んだ。半年前に妻への誕生日プレゼントで買い求め、即行読んだらしく私の所にきた。こうなることは承知の透けで、私も集中して上中巻を読了した。ところが、何の風の吹きまわしか、すぐに下巻に手を出すのが惜しくなった。
それで8月6日近くになってから読もうと踏みとどまり、一昨日にふたたび手に取ったわけだ。
原作を読むと、やはり映画にはなかったエピソードや発見がある。こうの史代という漫画家は、下調べも丹念であり、戦争オタクの男顔負けのこだわりをもって、この漫画に取り組んだことがわかる。
下巻だけでいえば、日本の木造家屋の全焼失を目的に、米軍が開発したあの焼夷弾について、初めて知るようなことも図解入りで解説。
ベンゾールとパラフィン混合の「油脂焼夷弾」、3000度もの高温と閃光を放つマグネシウム85%とアルミニウムの混合火薬の「エレクトロン焼夷弾」、遠距離に炎が飛び貫通力も凄い「黄燐焼夷弾」、さらにセルロイド板に黄燐を塗布した「焼夷カード」なるものがあると分かって驚愕した。(5×10cmくらいのカード、乾くと発火するので注意。火箸で鋏んでバケツへ。後でまとめて燃やす。とあるが、存在を初めて知る)
まさしく一般住宅街、民間人(※追記)の大量殺傷を意図した爆弾だ。当時の国際法では人道的な罪は規定されていなかったが、ここまで非人道的な焼夷弾をつくるとは、日本人のみならずアジア人を犬畜生なみに見なしていた証左である(この焼夷弾がベトナム戦争では、ナパーム弾や枯葉剤散布へと威力がより激化した)。
これらの焼夷弾が飛来した際の対処法や被災したときの消火テクニックなど、ネームではあるがきちんと補足説明している。そのほか、呉の海軍が組織として、歴史的にどのように発展してきたかとか、ちょっと女子向けにはどうかなと思われる情報も詳しく書かれていた。
さて、私が下巻を躊躇した理由は、分かる人にはわかるだろう。晴美ちゃんと右手をつないで歩いていたときに遭遇した悲しいこと。掛け替えのない喪った二つのもの・・・。
それが原画で、どう推移していったかを一コマ一コマ確認したかったからである。
やはり映画ほどの説得力はないものの、必要最小限のコマ割ですずさんの根源的喪失が端的に描かれていた。それ以降のあまりの悲痛さ、自分を苛む罪悪感を、作者は情け容赦なくすずさんに背負わせる。淡々と描いているから、深い悲しみがさらに深く・・。やがて、すずさん固有の痛みが、家族や周囲の人たちに共有され、皆で分かち合っていることが伝わってくる。夫の周作も大人しい感じだが、男の強い忍耐を滲み出してきた。
最後のほうになると、広島の被爆と戦後の悲惨さが基調となる。しかし、すずさんの頭のなかは幼い頃や青春時代の愉しい広島の日々、義姉の娘晴美ちゃんと過ごした呉での幸せの日々に染まっている。遠景の愉しき日々に焦点があっているから、凄惨な現実、悲しい近景がぼやけて見えない。老齢になっても、このこみあげてくる切なさはなんともしがたく、微かな慟哭は止まらないのだ。
見てのとおり、こうの史代のマンガは一時代前のアナログの感じで、描画も卓越しているとは言い難い。けれど、そこに清冽なリアリティと時代の雰囲気が見事にマッチングしていて、戦争マンガではあるが、多くの人々に愛される大きな理由となっているのではないか。
あの広島や長崎の、死と焔の記憶は永遠に絶やしてはいけないと思う。多くの小説・詩、歌、絵画などがあろうが、マンガもまた世界の人々に「日本人の祈り」を届けていくはずである。「この世界の片隅に」も、映画とともに二重に連鎖して響きあう魂の反戦画となるだろう。
「この世界の片隅に」のほぼ最後の方には、晴美ちゃんに生き写しかのような孤児と出会い、その児を背負って夫婦で呉の町を歩く美しい見開きカラー頁がある。これを目に焼きつけたいが、個人・家庭内での利用でも厳禁とのことである。残念だが、見ていない方には、ぜひとも買って見てもらしかない。
代わりとはなんだが、原民喜の一篇の詩を載せる。岩波文庫本では原民喜の意志を尊重してのカタカナ表記であるが、私は敢えて自分用に現代カナで表記した。
真夏の夜の河原の水が
血に染められて みちあふれ
声の限りを
力のありったけを
お母さん オカアサン
断末魔のかみつく声
その声が
こちらの堤をのぼろうとして
向うの岸に 逃げ失せてゆき
(岩波文庫*原民喜全詩集より 原爆小景から)