昨日、3.11関連の記事をアップして寝るまえに、習慣になった竹下節子さんのブログをのぞいてみた。
タイトルが『新聞の値段が男と女でちがった』と付けられ、「3月8日は国際女性デーだった」という書き出し。
ジェンダーの認知から、MeTooの問題まで最先端をいくフランスで、地下鉄の車両アナウンスが「痴漢やセクハラ」の注意勧告。それも女性車掌のジョーク&英知(?)をふりしぼった声で・・。
⇒https://spinou.exblog.jp/29358957/
とりあえず、上記のブログを読んでいただくとして、大半を省略してしまうが、最後の一行前がこれ。
でも大体、女性の権利という言葉がおかしい、人権はひとつだ、とフランス人らしいコメントも出た。
このコメントは、たぶん竹下節子さんから直々に、バロック・バレエを教示される少女を、私は想像した。その年端のゆかないフランス女性といえども、人権はフランス革命に由来する、その歴史・文化的なリソースとしての「ハビタス」は健在なり、と得心することしきり。先日、自分が書いた記事が頭の中をよぎり、そのときの忸怩たる思いがふつふつと湧いてきた。
男が強くてもおかしな世の中になるし、その逆も「真なるかな」である。
人権はまず、性差を超えたところで、男女ともに共感覚として再確認すべき事柄であろう。それが竹下さんのエクリチュールの含意ではないか、と勝手に読み解いて、なんかウレシイ気持ちになった次第。
これを読んで、また女性を敵に回したかもしれない、と疑心暗鬼になる己がまた不甲斐ない。だが、なんかウレシイのも事実なのだ。