退院してから美味しいものを食べ歩いた。食通ではない、美食も知らない。昭和戦後世代の平均的な食生活を経験してきた。医食同源なんて忘れて、自分の好きなものしか食べない。なんとも贅沢であることか、そんな心境であった。それが心の栄養となったし、身体にも良いことだったと思いたい。
年末28日に外来の主治医〇◇先生の診察をうけ、その後に抗がん剤投与。そのための準備としてたっぷりと滋養をつけて、通院での治療に専念したい一心であった。入院治療はもう勘弁してもらいたい。
前日の27日には造影剤を注射するMRIとCT撮影もした。なかなか慌ただしい歳の瀬とでも云おうか。28日当日のカンファレンスでは、朝に採血した検体データ及びこれまでの時系列検査情報、前日に撮影したMRI・CTの画像を参照しながら、総合的な診断や今後の治療計画の説明をしていただく。説明が丁寧で分かりやすい〇◇先生によれば、癌は減少傾向が見られ、かつ転移もない。今後は一進一退はあるだろうが、通院による抗がん剤の投与をしばらく続け、経過を見守るしかないとのことだ。
癌そのものが消えてなくなるような完治はない、癌という病と折り合って共に生きていくということだろう。咳・痰などもないし、この調子でいけば処方された咳止めの薬は、副作用もあるから自主管理で呑まなくても良いということも言われた。但し、肺炎の心配はしなくてもいいものか、〇◇先生からの直截の指示はなかった。
さて、通院患者のための化学療法室に案内され、理容室にあるような椅子に寝そべりながら2種類の抗がん剤と、副作用を抑える薬の点滴を打った。カーテンで仕切られている大部屋である(男女別に分かれているようだった)。2,30人ぐらいの人が同時に化学療法を受けているようで、キャスター付きラックの上にノートPCを置いた何人かの看護師さんが、忙しそうにすり抜けている。点滴が終わった後のシグナルがあちこちで鳴っている。そうした患者のもとに駆けつけるのだ。
小生は都合3時間ほど治療をうける。目前で点滴をしている方は、なんと総量1.5ℓ(小生の2倍ほど)ほどのパックを2つを使っている。この他にも副作用防止剤やら生理用食塩水なども点滴するはずだから、午前午後にかけて5,6時間かかるのではないか。これを1か月に2回行なうが、やはり、この治療を中心において、余生のライフプログラムを設計したい。納得のいく充実したものになるだろうか。やりたいことは多々あれど、考えがまとまらない。小生の性格は、自堕落とせっかちが混在している、どうしようない男なのだ。
この次の化学療法は年が明けての1月4日である。年末年始も美味いものを食べて、たっぷり寝ることにするかな。以前は、酒を嗜むことはあったのだが、今は一滴も吞まなくなった。元日はお屠蘇をいただくつもりだが・・。
親戚やご近所の素敵な方から、退院祝いをいただいた。心に響くメッセージの形だ、ここに載せたい。