金沢に暮らし始めて40数年.。この街で「見たものは、見た」。最近は「軒端に冬の山晴れて見ゆ」って心境に。
金沢暮らしの日々 ~努力は時々 報われる~
母校がなくなる、ということ。
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小生、小中高大と4つの学校に通ってきました。その中で、当時のまま今も校舎が残ってるのは小中だけです。まあ学校が廃校になった訳ではなく、建て替えられたという事なのですが、それでも当時の建物がなくなるということは、少し寂しいものです。
小学生の時は ちょうど木造の旧校舎とコンクリートの新校舎の更新真っただ中の時代でした。コンクリートの新校舎は、今も使われています。〈3年前の帰省の折に確認)
中学校は、木造校舎の旧中学校が、直ぐ近くに新築移転し、新築のコンクリートの校舎で過ごしました。この建物も今使われています。〈同上)
高校の3年間は、戦前に建てられた旧制中学の建物で過ごしました。コンクリートの古くて汚い、でも形だけはモダンな西洋建物でしたね。僕らが卒業して20年後くらいに、全校舎が建て直されました。それを後輩たちは、今も使っているはず。
大学時代は、お城の中で4年間過ごしましたが、ご承知の通り、今は角間に移転してしまいました。レンガ色のおしゃれな建物と思いますが、僕らにとっては、キャンパスと言うのは、お堀と石垣に囲まれた、白い何の変哲もない四角い建物です。
戦前から大学であった伝統校では、戦前の建物を今も現役で使っているところもあるようですが、いかんせん「新制大学」は、「とりあえず作りました感」は拭えないかな。その当時の建物は、今は城内からすっかり姿を消してしまいました。
それでも石川門をくぐり、城址の石垣やお堀を眺めていると、半世紀近く前のことが鮮やかによみがえります。そして少しだけ、元気になれるのでした。
生協購買部のあたり。(階段の下がいわゆるB14下)
教育学部当たり。遠くに見えるのが石川門
三十間長屋です(僕の学生時代は、倉庫でした)
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文学堂のこととか、何度かコメントしようかと思ったこともあったのですが、機会を逸してしまっていました。
ぐずぐず5年+1年大学界隈にいたもので、移転に立ち会う羽目になってしまいました。
移転反対派だったからだけではなく、さみしい思いでした。
B14番下と生協購買部の間の階段を何度往復したことか。
10年ぐらい、金沢に行けないでいます。
それまではちょくちょく訪れていたのですが。
生活が変わり、難しくなってしまいました。
それでも、またいつか訪ねるだろうとは、思っています。
月さんは城内と角間と両方の経験をお持ちという事ですね。とても貴重な体験をされました。
ぼくは、卒業後も金沢に留まり、今日までなんとかやっています。日常の様々なことに少し心が疲れた時、城址周辺をたまに歩きます。少しだけ元気になれるような気がします。
是非また「金沢歩き」においでくださいね。