秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

遠い日の約束(母の命日に寄せて)  SA-NE

2009年12月27日 | Weblog
フラッシュをたいたような、鮮やかな秋の蒼空が、窓の彼方に輝いていた。祖谷川から、吹き抜けてくる風は、ケヤキの葉の隙間を静かに渡っていた。母と私の傍らには、スヤスヤと眠る、生後数ヶ月の双子の娘達。
暫く空を見上げながら、私はふと手を止めて、呟きました。
「なあー、なあー、母さん、あの世って、あるんかなあ?父ちゃん、天国におるんだろか?」
不意に尋ねた私に、母は、布オムツをたたむ手を止めて、小さく笑って言いました。
「ええ、ところじゃけん、帰ってこんのだろうの…天国あったか、父ちゃんおったか、母さんがいつか、逝ったら、〇〇〇にだけ、知らせてあげるわ」

「それって、一番かたい話じゃなあ、母さん、まだまだ先でええけん、絶対に教えてよ!約束だよ!」

母と娘の一生で一度きりの約束は、そんなたわいのない、話の始まりでした。

それから、数年後、
母の身体を、脳梗塞の後遺症が蝕んでいきました。
平凡という名の、幸福な時間の贈り物は、少しずつ、形を変えていきました。
私を待っていたのは、「介護」の、世界でした。
一生懸命であればあるほどに、苛立ちは募り、私自身、心も体も病んでいきました。
介護を経験する、誰もが直面する、現実です。
脳梗塞、心筋梗塞、そして、血管の壊死による、左足の切断。
父が亡くなった時、泣き崩れる、小さな母の背中に、誓ったことがありました。
最期の時間を、見届ける為に、母の側で離れないで暮らして行こう。ずっと一緒にいて、母の人生の、最期を見届けるんだ。
「傍にいるよ!一人じゃないよ!」
そう言って、母を見送るんだ、と。
10年に及ぶ、自宅介護。施設入所。
そして、最期を迎える場所になった、二年間の入院生活。
母の生命を繋いでいたのは、チューブによる栄養と、数本の点滴の管でした。
医師に告げられていた次に状態が悪化したら、気管切開による生命維持装置への切替。


八年前の、12月23日。年末恒例の、ボランティア作業。大凧を取り付けた、その足で私は母のもとに出掛けました。

危篤を数回、脱するたびに、私の心は限界を迎えていました。
「母を連れて、自分も命を絶とう、これ以上、母を苦しめたくない」
そればかりが、頭の中を、巡っていました。 あの日、午後6時頃、私は容態の落ち着いていた、母の病室で半日を過ごし、別れ際、母の顔を摩りながら、
「母さん、また来るね、帰るわ…」と言葉をかけました。
一瞬、母の視線は、確かに私を捉え、
小さく微笑みました。
私の感じた、サヨナラの予感は、悲しい事に適中し、それが、母と娘の40年間の最期の時間になりました。
私が、病室を出て、祖谷に帰り着くと、母は、呆気なく息を引き取りました。
母の最期の時間を共にしたのは、当然、私ではなく、同室の身寄りのない、アルツハイマーの老婆でした。
凍てつく、森閑の冬の夜でした。


葬儀が終わり、慌ただしく49日の納骨を終えた夜。
私は、母と交わした、17年前の約束を確かめる為に、母の遺影のある部屋に、一人布団を敷き、夜を迎えました。
主人と高校生に成長した、娘達は、私の意味不明な行動を見ながら、寝室で、優しく笑っていました。

深夜、12時を過ぎ、時計の針の音だけが、部屋に響いていました。
「母さん、覚えてる?今日が、約束の日だよ。きちんとおしえてよ!父ちゃんに会えたか、あの世はあったか…」
1時、2時、時間が過ぎていきました。 私は、神経を集中しながら、必死で母の気配を探しました。
深夜、2時を時計の針が廻り、それから私はそのまま、眠ってしまいました。


気が付くと、夜が明け、カーテンの外は、明るくなっていました。
しばらくして、娘達が寝ぼけまなこで、遺影のある部屋に、入ってきました。
「なあ、なあ、母さん、ばあちゃんに会えた?」
「それが、母さん、2時頃から寝てしまって、会えんかった。やっぱり、あの世って、ないんだろうか…」
私がそう言うと、
娘は、母の遺影に微笑みながら、確かめるように、話しかけました。

「ばあちゃん、ばあちゃんは約束通り、出て来たんだろ!出て来て、母さんを起こしたんだろう。母さんが、爆睡してて、起きてくれんかったんだろう、ナア?ばあちゃん。」
娘の視線の先の、母の写真は、あの秋の日だまりの時間の時のように、小さく微笑んでいました。

あれから、七年。
母との約束は、未だに曖昧なままです。
父の傍が、余りにも居心地がいいのか、
一瞬でも、離れたくないのか、
それとも、単純に忘れてしまったのか、
答えはすべて、空にあるんでしょう。
ねえ、母さん。


一年間、
時々おじゃましました、私のつたないエッセイを、読んで下さった、読者の皆様。
ありがとうございました。
来年の皆様の、
時間が、温かな笑顔で充たされますように。そして、貴方の愛する方が、永遠でありますように。
愛の形は違っていても、人は愛によって、いつの時代も、生きられるのです








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