秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

彼岸に寄せて   SA-NE

2010年09月25日 | Weblog
忘れられない、光景がある。
主人が息を、ひきとる二日前の夜、病院の休憩室から戻った長女が
病室に戻るなり、私に話した。
「なあ、なあ、面白いおっちゃんと、友達になったよ~!」
「面白いおっちゃん?って」
楽しそうに話し出した、長女の声に、疲労困憊だった私は
救われた気がして、耳を傾けた。

娘達も、ギリギリの精神力で、必死で堪えていた。三人で繋いでいた手を
私の左手で主人に繋ぎ、ただ祈るだけの日々だった。
長女は、たわいのない話しで、それを紛らわせてくれようとしていたのが
痛い程、理解出来た。

「休憩場に初めて見る顔の、おっちゃんがおってな、おっちゃんに聞いたんよ~!」
「入院した人なん?」
「うんっ、おっちゃんって病気なん?」って聞いたらな、」
「おまえ、失礼な奴じゃのう~病気じゃなかったら、入院するか~!」って笑いよったよ~
「なんか、あのおっちゃんらは、どっかの組のおっちゃんじゃよ~!
若い人、隣で座っとったよ」

長女は、話しを続けた。
「おっちゃんが、おまえは、なんでここに居るんな?て聞くけん、今までの事
父ちゃんの病気の話し、全部話したんよ~!家族で付き添いしよるって!そしたら
おっちゃん、頑張れよ!って言うてくれたよ。母ちゃんの事も、心配しよったよ!」

長女は、それから数回だけ、そのおっちゃんに、会っている。
私は、休憩場には行かなかったので、そのおっちゃん達には、会えないままだった。
長女の話しで、そのおっちゃん達が、人情の厚い人だということは
十分私に、伝わっていた。

主人が、息を引き取った朝。
あの、悪夢のような、朝。
私は、主人の死を、一番最初に、友人に知らせ、次に主人の友人に知らせ
住職に連絡し、斎場と、迎えの寝台車を手配した。

泣いてなど、いる暇はなかった。
泣いていては、何も手配できはしない。
主人の意を、酌む事が出来るのは、女房である私しか、いなかったから。
震える全身を、唇を噛み締めながら、堪えた。
妻と言う役をやり切る為の、一世一代の大芝居を、演じているようだった。

入院患者の友人達が、お別れに来てくれた。怺えていた隙間に、涙が不意に落ちた。
後から後から、流れた。
この方々から、どれ程の優しさを、頂いただろう。私も娘達も、生涯忘れないだろう。

一分でも早く、主人を病院から、連れて出たかった。

斎場から、迎えの車が来た。ストレッチャーが部屋に、入ってきた。主人が、乗せられた。
エレベーターの手前に、ナースステーションがある。
看護婦さんに、頭をさげ、エレベーターに乗った。
主治医と、婦長が、並んで乗り込んだ。

一階に着いた。
右に曲がれば、休憩場がある。
主人と何度も降りて来ては、入院患者の友達と、深く繋がっていられた
唯一の空間だった。
主人が、一番来たかった、場所だった。

主人を乗せた、ストレッチャーは、右には曲がらずに、まっすぐに続く
裏口の廊下を、進んだ。薄暗い、廊下だった。突き当たりに、開けられた、扉が見えた。

黙ったままでまっすぐに、光りの零れる方角だけを見て進み
裏口の扉の前に着いた時、長女が、ぽつりと言った。

「あっ、おっちゃん…」
「母ちゃん、あれは、おっちゃんらじゃよ…」

長女の声に、振り向くと、長い廊下の、向こう側に、三人の姿が
こちらを見て、きちっと肩を並べて、立っていた。
三つの影は、私達に向かって、深く頭を下げた。
名も知らぬ、三人の影に向かい、私も、深々とお辞儀をした。

あんなにも、温かい、あんなにも、潔い一礼を、頂いたのは初めてだった。

扉の外には、
西日が煌々と射し、私達は、雑踏の中に、流れだした。
〈一礼〉の温もりに、背中を押されるように、歩を進めていた。





















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする