おんぼろ食堂の名前は、
〈みすじ〉
店の看板は、父の手作り。縦30センチ横に90センチ、厚さは3センチ位程の、一枚の板
焦げ茶色に、塗った板の上から、ペンキで、〈みすじ〉と書いてあった。文字の色は思い出せない。
亡くなるまでの、八年間は、父は 大好きな料理を作り、家族の中心の、ど真ん中で、豪快に愉快な、毎日を過ごした。
店の由来の意味を、私が知ったのは、私が大人になってから、母に教えてもらった。
『三味線の三本の糸』それが、みすじの名前の由来だった。
父の焼鳥は、お客さんには、大評判だった。毎日、毎日、
焼鳥を串にさしていく、父の横顔を、私は1番近くで見ていた。
焼鳥のタレも、絶品だった。
タレを作る、父の姿を、やっぱりくっついて見ていた。そして、時々、お手伝いをした。
幼少期に見ていただけなのに、
大人になった私は、父の焼鳥を再現できていた。
父の秘伝のタレ。門外不出のタレ。
気がつけば、何を作っても、父と同じ味になっている。
父が私に遺したものは、
手垢だらけの愛情と、数々の教訓と…〈秘伝のタレ〉
そして…鼻の形っ
父と母の口から、
他人の悪口だけは、聞いた記憶がない
そして、誰かに何かをしてあげたとか、
そんな恩着せがましい話も、聞いた事がない。
『風邪で寝ていたら、おっちゃんが、鍋焼きうどん作って持ってきてくれた~あの味は、忘れんわ』
『子供が家で留守番してたら、おばちゃんがうどん作って、食べさせてくれとった。世話になったんよ~』
どの話しも、最近になって、聞いた話だった。
父も母も
思いやりを隠し味にして、
記憶に残る味を、誰ものココロに遺している。
父と母が並んで写っている、数枚の写真が
遺っている。
おんぼろ食堂の前で、父は腕を組み、白い割烹着姿の母は、手を前で合わせ、夫婦は、小さく、てれ笑いしている。
家には、カメラは絶対になかったから、近所の誰かが、写してくれたんだろう。シャッターを押しただろう…
近所の二人の顔が思いあたるが、どちらのカメラなのか、わからない。
写真は、時空を越えて、温もりさえも、遺してくれる。
頭の中に刻んだ、思い出や風景は、褪せないままに、笑い声さえも、呼び覚ましてくれる。
誰かが、遺してくれるから、
『永遠』
が未来へと繋がっていく。
写真…そして心で刻むシャッター。
誰もが、消滅していく『生命』だから
伝える事で、消滅した命は、未来で必ず、再び命の気配を呼び覚まし、魂の轍へと繋がって行く。
私には、まだ終わっていない 父からの宿題がある。
12才の私への、父からの最期の言葉。
『…勉強せ…え…よ…』
振り絞るような声で、父が…そう言った。
私は、泣くのを必死になって我慢して、
『う…ん』
と答えた。
『まだまだ、勉強は終わって ないばいっ!なんば しちょる!』
そう言って、叱られるような気がする。
いつか…
父ちゃんに似た
孫を抱ける日が くるのかな…?
なんか…無理かもしれないけれど…
鼻だけは 似てほしくない…
父ちゃんは 気付いていたのだろうか?
宴会に来てた、おばちゃん達が 店に入ってすぐに 言っていた挨拶…
『こんばんは~今日はみすじに花見にきたんぞよ~~』
みすじに
鼻見に来て下さった
あの時代の お客様
ありがとうございました。
肝心の子供達は8年間で
焼鳥は 数本しか 食べられなかったのでした。殆ど 記憶にありません。
お客様が帰った後、お皿に残された、タレを指でナメていた、オカッパ頭 眉毛の上で パッツン~女の子!
オカッパ頭は
前髪命のメンドイ・オバサンになりました。オカッパ頭は、まだ金毘羅さんも 赤い靴も
一人で 歌えます
親父と昭和とベニア板
明日は命日
平成からの合掌
〈みすじ〉
店の看板は、父の手作り。縦30センチ横に90センチ、厚さは3センチ位程の、一枚の板
焦げ茶色に、塗った板の上から、ペンキで、〈みすじ〉と書いてあった。文字の色は思い出せない。
亡くなるまでの、八年間は、父は 大好きな料理を作り、家族の中心の、ど真ん中で、豪快に愉快な、毎日を過ごした。
店の由来の意味を、私が知ったのは、私が大人になってから、母に教えてもらった。
『三味線の三本の糸』それが、みすじの名前の由来だった。
父の焼鳥は、お客さんには、大評判だった。毎日、毎日、
焼鳥を串にさしていく、父の横顔を、私は1番近くで見ていた。
焼鳥のタレも、絶品だった。
タレを作る、父の姿を、やっぱりくっついて見ていた。そして、時々、お手伝いをした。
幼少期に見ていただけなのに、
大人になった私は、父の焼鳥を再現できていた。
父の秘伝のタレ。門外不出のタレ。
気がつけば、何を作っても、父と同じ味になっている。
父が私に遺したものは、
手垢だらけの愛情と、数々の教訓と…〈秘伝のタレ〉
そして…鼻の形っ
父と母の口から、
他人の悪口だけは、聞いた記憶がない
そして、誰かに何かをしてあげたとか、
そんな恩着せがましい話も、聞いた事がない。
『風邪で寝ていたら、おっちゃんが、鍋焼きうどん作って持ってきてくれた~あの味は、忘れんわ』
『子供が家で留守番してたら、おばちゃんがうどん作って、食べさせてくれとった。世話になったんよ~』
どの話しも、最近になって、聞いた話だった。
父も母も
思いやりを隠し味にして、
記憶に残る味を、誰ものココロに遺している。
父と母が並んで写っている、数枚の写真が
遺っている。
おんぼろ食堂の前で、父は腕を組み、白い割烹着姿の母は、手を前で合わせ、夫婦は、小さく、てれ笑いしている。
家には、カメラは絶対になかったから、近所の誰かが、写してくれたんだろう。シャッターを押しただろう…
近所の二人の顔が思いあたるが、どちらのカメラなのか、わからない。
写真は、時空を越えて、温もりさえも、遺してくれる。
頭の中に刻んだ、思い出や風景は、褪せないままに、笑い声さえも、呼び覚ましてくれる。
誰かが、遺してくれるから、
『永遠』
が未来へと繋がっていく。
写真…そして心で刻むシャッター。
誰もが、消滅していく『生命』だから
伝える事で、消滅した命は、未来で必ず、再び命の気配を呼び覚まし、魂の轍へと繋がって行く。
私には、まだ終わっていない 父からの宿題がある。
12才の私への、父からの最期の言葉。
『…勉強せ…え…よ…』
振り絞るような声で、父が…そう言った。
私は、泣くのを必死になって我慢して、
『う…ん』
と答えた。
『まだまだ、勉強は終わって ないばいっ!なんば しちょる!』
そう言って、叱られるような気がする。
いつか…
父ちゃんに似た
孫を抱ける日が くるのかな…?
なんか…無理かもしれないけれど…
鼻だけは 似てほしくない…
父ちゃんは 気付いていたのだろうか?
宴会に来てた、おばちゃん達が 店に入ってすぐに 言っていた挨拶…
『こんばんは~今日はみすじに花見にきたんぞよ~~』
みすじに
鼻見に来て下さった
あの時代の お客様
ありがとうございました。
肝心の子供達は8年間で
焼鳥は 数本しか 食べられなかったのでした。殆ど 記憶にありません。
お客様が帰った後、お皿に残された、タレを指でナメていた、オカッパ頭 眉毛の上で パッツン~女の子!
オカッパ頭は
前髪命のメンドイ・オバサンになりました。オカッパ頭は、まだ金毘羅さんも 赤い靴も
一人で 歌えます
親父と昭和とベニア板
明日は命日
平成からの合掌