春くれて寂しき心残りけりされど若葉にうき世わすれむ
草しげる野べの古道をさまよひて若葉の木々と哀しき廃家
初夏なれば日射しかがやく山辺なりひとり臥しける老のありけり
なが月を臥しける老のありけるに若葉のちから分け給ひけれ
世のうきを思ひわずらふわが身なり孤独な庵にも時鳥の声
余花に逢ふ逢ひしと願ひ山に入り
唐突に葉桜めでしこころなり
障子あけ若葉迫りて身構へし
葉桜を好しに眺めつ花探す
山寺や予期せぬ余花に逢ひにけり
知人の親戚で空き家になっている茅葺き民家を宿借りして連れ合いと
のんびり過ごす。
縁側に座って新緑の山々を眺めて何をするわけでもなくぼーとしては
時間がすぎ、煤ボケた天井の梁と竹とカヤを眺めては古の暮らしに想いを
馳せてぼーと過ごす。
不便と不自由が同居している古いカヤ葺き民家は夜ともなれば小さな
可愛い山ねずみが部屋の端っこをチョロチョロ走り、天井では物を齧る
音もして寂しさを紛わしてくれる友となる。
いま、落合集落で流行の外見は茅葺き、古民家のように見せるが、中身は
床暖房、、水洗便所、近代的なピカピカの家具に最新のキッチンと並べて
宿泊の客には祖谷の不便、不自由の暮らしを与えず、自然の厳しさを
体験させずに都会なみの宿泊をさせて都会に送り返すシステムに血道を
あげている、実にみごとな偽物を味わせてくれるのである。
いやの山里に暮らすお年よりは二人から連れ合いを亡くしてひとり暮らしを
して、病を患い、臥せ勝ちになりながらも自給の野菜を作り、孤独に耐えて
70年、80年、90年を妥協を許さない厳しい自然の尊厳に従い、寄り添い
黙々と人の尊厳を持ちながら生きて、土に還ってゆく姿は、自然に癒されると
いうような、甘っちょろいものではないと思われる。
Tばあばの息子さんが帰郷していたので例年の行事のようになっている
ワラビ取りとタラの芽取りに案内していただき、楽しいひと時を過ごす。