仲秋の秋もさわやかになるといろいろな事柄や風景も次々と変り行くものだよなあ
自然の移り変わりを肌で感じる楽しい季節だよね
ひとは生れ落ちた瞬間から自由なじぶんという個性のある才能と価値をひとしく持って生まれる
じぶんはじぶんであるという自由を持っていて、個性ある才能と価値には優劣、損得でものごとを
判断しない特質を備えている
世の中に出てくると何時しか個性のある才能と価値、自由を見失って他者から与えられた
(親、学校教育、社会常識の規範など)それぞれの価値観で以てじぶんを縛ってしまって
ものごとを判断してしまう
この価値観はものごとに優劣、損得をつけてじぶんを他者より優位に立とうとするよな
ぼくらはあのひととは価値観が合わないから嫌だ、付き合えないとか、考え方が違うからと
端から排除して、優劣をつけて正当化してしまいがちだね
与えられ、得られた価値観を共有できるひと、考え方の合う人、要は相性の合う人との交流ばかりに
なっていたりして、気がつけばじぶんから世界を狭くしている
ひとつの価値観や枠組みに囚われると本来の自由なじぶんの才能と価値をいつしか失くしてしまいがちだ
ある村にAというひとが来て、村人に「この村は暮しやすい村だと聞きましたが、、、」
村人「今までの村は暮しやすかったですか?」
A「はい、暮しやすくて、やさしかったですよ」
村人「そうですか、だったらこの村も暮らし易いよ、みんなやさしいですよ」
しばらくしてBというひとがやってきて「この村は暮らし易いかね?」
村人「いままでの村は暮らしやすかったかね」
B「最悪でしたよみんな不親切でしたよ」
村人「ああ、そうかね、そしたらこの村も最悪ですよ」
という寓話をある記事で読んだことがあり、得られた価値観の違いから
こころの持ち方まで違ってしまうよね
ひとがひとしく持って生まれてきた、最初のじぶんという自由な個性のある才能と価値で
もう一度ものごとを眺めると、案外、ものごとを許容できるものとして受け容れられるかもな
そうすれば、こころ豊かになれるし、おおらかになれて、ひとって捨てたもんじゃあない
いいよなあ、と思えるかもしれないよね
ブルースの掠れし歌や長き夜に
踏み入りて花葛ありや荒れ途ぞ