秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷秋点描 仲秋の秋 あまだれを聴きて過ぎ行く

2015年09月10日 | Weblog

秋雨前線がはやくから居座りつづけて、九月の青空を見ることなくあまだれを聴きし日が
ずーと続いているよね
ずいぶんと涼しくなって、過ごしやすい、早朝など寒いと思うときもあるね

ひとは生まれてきたからには最後には必ず死ぬよね
生まれてきて死なないひとは絶対にいないよな、この原則に例外は無いよね
わかりきったことだけど

生きている期間は長寿のひとも居るし、ちょっと短いよなというひともいる
それに、ひとり、ひとり、違う人生を生きている、誰ひとり同じ人生ってないよな
これも、あらためて云うこともないか

わき目もせずに一生懸命に生きている人などもいて傍目にも、ああいいよなあ
がんばっているよなと思うよね、ひとそれぞれだけどね

みんな、じぶんを信じてがんばって生きているのは気持ちのいいものだよな
たのしいこと、くるしいこと、かなしいこと、いろいろあるけど、生きて行く時間と
いっしょに、ゴールに近づいていくんだよね

そんななかで、東祖谷に生きているお年寄りの生き方には前々からいいよなと思っていた
どういったらいいのか、なんか丁寧に生活して、丁寧に生きているって感じなんだよね

山里のお年寄りの人たちはゆったりとした時間のなかで、じぶんにできることを
これまた、ていねいにして、楽しんで生きている
ものごとを手いっぱい抱え込むこともない、その時期にすべきことを一つづつ好きな時に
じっくりと身体と相談してていねいにしていくんだよな

今日出来なければ明日があり、明後日がある、殆どのひとは明日がどうなるかなど思わない
2,3、年先はどうなっているか、時には思うこともあるだろうけど、くよくよせずに
大らかであり、楽天的であり、ていねいに生活して丁寧に生きているって感じがするんだよね

何十年と同じことをしているのだろうが、長年の経験、体験、培った智慧で微妙に違う気候を
丁寧に感じとってものごとを適切な時期にちゃんとしているのを見るといいよなあと感心する




名も知らぬ千草を摘みてたなごころ