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「普通な佇まい」は生き残れるか

こちらが講談社の野間道場です。
「野間」の名前からも講談社にとっても大切な場所であることがわかりますが、
道場自体は洋館解体後に建てる新社屋内に移転予定とのこと。

ところで、「保存」と言う視点からのこの建築の価値、というのはなかなか難しい。
学術的・美的価値、という面から見れば、殆ど無いに等しいかもしれません。
「おおっ」度合いだって洋館の方がずっと高い。
では、この建築に価値が無い、と言えるのか。

改めてこの建築の「価値」を考える中で、いくつかのことが言えるような気がしてきました。

一つは長年に渡り、ある組織の精神的な部分を何らかの形で担ってきた建築が
時間の流れの中で獲得し、育んできた「場」としての価値。
最終的には内部の方にしかわからない部分もあるような気もしますが、
この観点からの価値付け(意味づけ、と言うべきか?)は重要ではないかと。
もう一つは「普通の建物が普通に生きていくことの意味」。
価値とは少し違うかもしれませんけれども、普通にきちんと造られた建築が
普通に大切に使われ続けていくと言うことは、
当たり前のことにも思えますが、やはり価値がある「こと」のではないかと。

どちらも人の行為との関係で価値が発生していると考えているところが非建築学的かな?

この建物が「嫌い」という日本人は、あんまりいないと思います。
それって凄い事ではないのかしらん?
60年以上使って来た訳ですから、それなりに天寿が近づきつつあるとも言えなくもないのですが、
逆になんと言うことも無く延々と普段使いしてくれると嬉しいような気がしますし、
そうしてくれないといつの間にかこういった建物が日本国内から絶滅してしまう可能性も、
あまりに当たり前に見えるものだけに有り得るのではないかと。
(・・・これは生活文化史的価値、と言ってもいいのかもしれませんね。)

あまりに普通な建築なので改めて「保存」などと言う言葉を持ち出すと
我ながらかな~り違和感を感じてしまった訳なのですが、
考えさせられる、と言う意味ではある面、洋館よりずっと重い建築であるようにも思われました。
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これは凄い。無念。

護国寺にある講談社の裏手に、同社の所有する洋館と道場が建っています。
良くぞ今までこんなところにこんなものが・・・という驚きの両物件ですが、
ご多分に漏れず新社屋建設の為に解体されることになってしまったそうです。
縁があって講談社さんが開催している「お別れ公開」に参加する事が出来ました。

で、まずは洋館ですが、外観はかなり疲れちゃっていますし、ちょっと地味っぽく見えますが・・・中が凄い。
思わず「おおっ・・・、こ・れ・は・凄・いっ」と声に出して言ってしまいました。
規模も大きく、部屋の造作も高級、設備(廊下・厨房を含む全室にスチーム暖房)も贅沢。
残念ながら普通のオフィスとしてイマイチな改装がされているところもあるのですが、
まあ、蛍光灯ぶら下げたりという程度で撤去・復元可能なのなのが救いか。
でも救いじゃないんです、壊されちゃうんです!勿体無い。信じられない。
お願いだからリノベーションして使って下さい>講談社様!!

因みに外観は「簡略化されたスパニッシュ・スタイル」だそうですが、あまり軽やかな感じはしません。
(同時代の役所アールデコのテイストとちょっと近い渋い感じです)
内部はイギリスの洋館をそのまま持ってきたみたいな感じで(って行った事無いけど)、
部屋の目的によって色々な様式が使い分けられている様子。
アールヌーボー(ロココ、という説もあるようですが)まであります!が、
何故かスパニッシュがない。(煙草部屋、サンルームなんかが無いから?)
これだけの洋館の設計者が「不詳」というのも謎ですね~。
この本格派具合からして渡辺節とか曽根中條とか、しっかりしたところじゃないのかなあ。
施主は三井南家の三井高陽男爵で竣工は1937年頃、構造は木造とのことです。
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