楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

今日は、小平市を散歩しました

2020-03-12 19:46:13 | 日記

青梅街道を熊野宮前というバス停で降りて見ました。こんなに長い参道が続いているんですね。

さぁ、狛犬のところまで来ましたよ。

小さな鳥居がありますが、ここは手水鉢みたいです。御神水という表示板が見えますね。

お参りする人も多いようですね。このお札やおみくじを見てください。

熊野宮についての由緒があります。それによると、小平熊野宮は、小平市仲町にある熊野宮です。阿豆佐味天神社の摂社を当地一本榎の地に遷座して宝永元年(1704)に創建、明治6年村社に列格、明治42年猿田彦神(元庚申社)を合祀したといいます。所蔵の文化財:一本榎 往時この一帯は「逃水の里」と称され、川もなく水の便が非常に悪い場所で、人家が一軒もない荒漠たる武蔵野の原野であったと言われています。その当時から重要な街道であった青梅街道と鎌倉街道(現在の府中街道)が、この小平の東西と南北に通じていて、特に青梅街道の田無から箱根ケ崎までの間には宿場もなく、往還する人馬にとって寒暑風雨や飲み水の確保に至極難渋した地域であったようです。そのような原野の中にあって、当地に一本の榎の巨木が聳え立っており、これが「武蔵野の一本榎」と呼ばれていて、両街道を往来する人々の良き目印や一時の休息の場になっていたと伝えられています。宝永年間の「一本榎」は、既に樹齢数百年を経た老大樹で、その枝は四方の広大なる地域に張り、その投影は百数十間にも及び、盛夏の炎天下にあっても絶えず千古の涼風が吹き通っていたとも伝えられていて、この初代の榎は、寛保年間(一七四二〜四四)に枯木となり、その後に一本榎神社として祀られ、現在その社は、末社殿に合祀されています。二代目の榎も目通り七尺の大樹であったが、大正三年九月の暴風雨により倒潰し、現在繁っている榎は、樹齢約百年の三代目の孫木です。また、社殿正面には、樹齢約二百五十年から三百年の二本の欅が寄り添って繁っており、「夫婦像」と呼ばれ夫婦円満の象徴として参拝者に親しまれてますとありました。

それでは、この鳥居をくぐって大ケヤキを見に行きましょう。

本殿の両脇にそびえ立つ夫婦ケヤキです。

これが本殿ですね。

お祭りの時は、さぞかし賑やかなことでしょう、太鼓や神輿が収納されている庫裡がありました。

末社も祀られています。

これが武蔵野に残る一本榎ですね。大事に祀られていました。

                             つづく