大圓寺というお寺に到着しました。どんなお寺なのでしょう?
天台宗寺院の大円寺は、普門山三皇院と号します。大円寺の創建年代は不詳ですが、天長年間(824-834)慈覚大師円仁が創建したと伝えられます。明治維新後、小山村内にあった末寺等を合併しています。東久留米七福神の恵比寿尊、福禄寿尊、寿老尊が山門に安置されています。という説明がありました。それでは、入りましょうか、おっとその前に門の入り口に石塔がいくつかありますね。なんだろう?
庚申信仰は、60日ごとの庚申の日の夜に眠っている人の体から三尸の虫が脱け出て、その人の罪を天帝に報告するという道教の思想からきたとされています。人々は庚申の夜には儀式や宴会をしてすごしました。この庚申塔は延享3年(1746)の造立です。
黒目川に架けた昔の中橋(すぐ左の橋)、曲橋(ひとつ下流)、落葉橋(ひとつ上流)の三つの石橋を作った時の石橋供養塔で、明治23年(1890)に造立されたものです。前に並べられた三個の石は力石とよばれ、かつて小山村の若者たちの力くらべに使われたものです。古老の話では、この重い石をもって坂を登って競争したとも言われています。一番右の大きな石には45貫(約169kg)と、その重さが刻まれています。
このような説明書きがありますね。
馬の供養や無病息災、交通安全を願って天保9年(1838)に造られた馬頭観音塔です。もとは旧下里村の秩父道(所沢街道)沿いにあったものです。左側面に「東いたはし五里、西八わうし五里、江戸四つ谷五里、北川ご絵五里」と刻まれていることから、五里五里馬頭と呼ばれて親しまれています。
ありました、ありました。七福神がここにいらっしゃいました。
文禄元年(1592年)に、ここ小山を治めていた地頭矢部藤九郎という方のお墓だそうです。さぁ、この近くには神社があるそうなので、次はそこへ行って見ましょう。
つづく