今日は、こちらの駅から出発です。
駅からの大通りを北へ向かって歩きます。
前方に何やら見えて来ましたよ。近くに来ました。
金剛院というお寺でした。真言宗豊山派の寺で、奈良県長谷寺の末寺、本尊は不動明王です。当寺の創立年代は明らかではありませんが、建久年間(一一九〇~九七)と伝えられます。天文年中(1532~54)に深悦沙門が中興し、その後の慶安二年(1649)には三代将軍徳川家光から御朱印十石を賜っています。天保四年(1833)及び明治三十八年に火災にあい、四脚門と土蔵を残し全焼しましたが、再建し、昭和三十二年に現在の唐招提寺風の屋根に大改装しました。堂内には、享保元年(1716)玄慶作の木造不動明王座像をはじめ、室町時代以前の作と推定される木造地蔵菩薩立像など多数の文化財があります。また、境内にある四脚門は、天明二年(1782)に寛慶により建立されたものです。その他、当寺には、県指定無形民俗文化財となっている「入曽の獅子舞」が伝承されており、毎年十月十四・十五日に奉納されます。金剛院所蔵の文化財:木造地蔵菩薩立像(狭山市指定文化財)があります。それでは、中へ入って見学しましょう。
こんな灯篭がありましたよ。
弘法大師像ですね。
ところで、寺宝の地蔵菩薩とは、釋迦が亡くなってから五十六億七千万年後に弥勒菩薩が現れるまでの間、この世で衆生(生命のあるものすべて)を救う仏とされています。そのため尊顔は慈悲深い穏やかな顔立ちをしており、右手には錫杖を、左手には宝珠を持っています。錫杖は僧侶が持つ環のついた杖で、もともとはインドの僧が山野を遊行するときに振り鳴らし、毒蛇や害虫を追い払ったものといわれています。宝珠は如意宝珠ともいい、意のままに宝などを出すという珠のことで、病苦も取り除くことができるとされています。この地蔵菩薩立像は、像高七九・五cm、寄木造り、玉眼、漆箔及び金泥彩からなり、かつて同院所属の南入曽にあった地蔵堂の本尊でした。金剛院所蔵の古文書によると、春日の作(神作といって、仏像の由来を尊厳にするために付けられることが多い)と伝える古仏が失われたため、元亀四年(1573)に地元の有志と金剛院の甚悦沙門らが、仏師玉運に依頼して再興したことや、承応二年(1563)に、修理が行われたことが記録されています。仏師の玉運は、元亀・天正年間に当像以外にも武蔵・相模(現在の埼玉県・東京都・神奈川県)地方で数件の仏像製作や修理を行っていることが判明しています。
つづく