境内をひと回りして見ます。
狛犬も、なかなか威厳がありますね。
案内版が立っています、入間野神社というそうですよ。建久2年(1191)の鎮座と伝えられ、神像には、天正6年(1578)卯月と記されています。旧号を国井神社と称し、後に御岳大権現と称しました。社領として慶安2年(1649)十石の御朱印を賜り、明治元年社号改正につき、御岳神社と称しましたが、明治40年5月3日、浅間神社、神明社、天神社、稲荷社を合祀しました。明治44年6月、両村社を合祀し、社号を入間野神社と改めました。明治初めの神仏分離により、別当であった金剛院の管掌を離れ、社号を御嶽神社と改め、明治五年には南入曽の村社となりました。同四〇年には八坂神社・天神社・稲荷社・神明社の四社を合祀し、更に、同四四年には水野の村社で木花咲耶姫命を祀る浅間神社を合祀すると同時に社名を入間野神社と改めた。よって、覆屋の中には、流造りの御嶽神社本殿と春日造りの浅間神社本殿とが並んで奉斎されているそうです。
それで、もう一つ鳥居があるんですね。お参りしている人は、本殿とは違うようですが旧御嶽神社の方でしょうか?
こちらは末社ですね。
本殿に到着しました、かなり広い境内でしたよ。
境内には入間招魂社も祭られています。例年10月中旬には県指定無形民俗文化財「入曽の獅子舞」が奉納されます。この獅子舞の歴史は古く、入間野神社所蔵の獅子舞を描いた奉納絵馬には「宝暦八年(一七五八)九月当村中」とあるので、その起源は少なくとも江戸時代中期までさかのぼることができます。また、天狗が持つ軍配には「風雨和順五穀成就」とあり、かつては豊作を願って村内を舞って歩き、日照り続きのときは雨乞いや悪疫退散を祈願して舞ったこともあるといわれています。獅子舞の構成は、獅子役三人、天狗(はいおい)一人、棒使い二人、花笠(ささら)四人で、これに笛役八人、ほら貝一人が加わります。
舞は勇壮で、「前狂い」と「後狂い」があり、前狂いは、いりは(入庭)、ごろしち、まわり狂い、竿がかり、まわり狂い、花吸い、まわり狂い、唄、ひきは(引庭)の順で、後狂いは、みつっぱえ、まわり狂い、唄、けんか、ひきはの順で舞います。
つづく