神社を出て少し行くと、
こんな観音堂が左手に見えて来ました。七曲井の脇にある観音堂です。創建は鎌倉時代の建仁2年(1202年)で、文保2年(1318年)の旱魃の際に村人が観音に祈り古井戸を浚うと水が湧出した、との伝説が残る。現在は常泉寺(狭山市北入曽315)の飛地境内で、堂は平成14年の再建だそうです。
大きな立て看板のような七曲井という文字が目に入りました。
市内入曽地区の北入曽にある「七曲井」が、平成の改修が行われ、見学しやすくなりました。
旧鎌倉街道沿いにある「七曲井」は、不老川左岸に位置し、奈良時代に掘られたという説があります。飲料水を得ることが困難だった武蔵野台地では漏斗状(すり鉢型)に掘り下げて井戸を作りました。上口部の直径が26メートル、井桁までの深さが15メートルあります。そして、この井戸の素晴らしさは、水を汲くむ道跡がしっかりと確認されていることです。道は、稲妻形に下に向かい、底部で井桁を一周しています。これだけ巨大な井戸ですので、さまざまな伝説があります。
昔、日本武尊が武蔵の国へやってきたとき、兵は疲れ、飲み水にも困ったそうです。村人も水には苦しんでいたことを知り、さっそく尊は 『この地を掘ってみよ』と命じ、大勢の人の手によって井戸が造られたというお話です。また、ある大干ばつに襲われたときのことです。井戸のそばにある観音堂の聖観世音さまの「お堂のうらの古井戸を掘ってみよ」とのお告げにより、掘り返したところ水が湧わき出て、村人は助かったということです。こういう説明がありました。
この川は、不老川といい、この水を飲めば永遠に若く過ごせるようですよ。
さて、次へと進みます。鳥居が見えて来ました。
野々宮神社という案内板が立っています。
入って見ると、このような案内板もありました。野々宮神社(北入曽)は、狭山市北入曽にある野々宮神社(北入曽)で、野々宮神社(北入曽)の創建年代等は不詳ながら、日本武尊の東征にしたがった社家が、当地に土着、日本武尊(蔵王神社)並びに大日孁貴命(神明社)を創建したと伝えられ、建仁2年・天正4年・元禄2年・宝永3年の再建棟札が残されているといいます。明治40年神明社・八雲神社・愛宕神社・稲荷神社・蔵王神社を境内に合祀しています。なお、同名の社が日高市野々宮の野々宮神社、鴻巣市の野宮神社とあり、社家の先祖は日向国タカサダの地より来住、3家に分かれたといいます。
つづく