楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

またまた、こんなお寺に

2022-11-13 10:41:24 | 日記

新青梅街道から、南へと西武新宿線方向へ向かって見ます。

ここです。曹洞宗の観泉寺というお寺の前へ来ました。

山門まで道路が続いていますね。それでは入って見ます。

何と見事な大きな庭が、正に名前の通りのお寺です。

ここは観音堂だそうです。

子育て地蔵ですね。

このように、多くのお地蔵さまや庚申塔が並んでいます。奥へと進むと

また、次から次へとお地蔵が現れました。

本堂へと到着です、立派な本堂ですね。ところで、曹洞宗寺院の観泉寺は、宝珠山と号します。観泉寺は、鉄叟雄鷟大和尚が開山となり、慶長2年(1597)観音寺として創建したといいます。今川十三代直房が当寺を今川家の菩提寺として観泉寺と改め、祖父氏真を開基、姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興としたといいます。

当寺は宝珠山観泉寺といい、本尊は釈迦如来で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺として広く知られています。寺伝によれば、慶長二年(1597)今の下井草二丁目付近に開山鉄叟雄鷟大和尚により創建され、観音寺といわれました。正保二年(1645)今川十三代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。その功により井草村など三か村五百石の加増をうけましたので当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興としました。その後万昌院(現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬しました。ここに眠る開基今川氏真は、二十三歳の永禄三年(1560)五月十九日「桶狭間の戦」で織田信長によって父義元を失い、その後出家しましたが歌人としても多くの歌を残しています。ということで、なかなか由緒あるお寺だったのですね。多くのお地蔵や広い見ごたえある山水泉庭など、これで納得できました。

                                    つづく