光明院を出て、ふたたび街の中を歩いて善福寺川方向へと向かいます。
川へやって来ましたよ、この橋「本村橋」と言うそうですが、渡りましょう。
川の周辺は、このようになっています。
何だか変わった建物の前へ来ました。アパートかな、それにしてはちょっと変わっているなぁ、とよく見たところお寺でした。都会の街中のお寺も、周辺の開発で姿が消えて行くようです。寂しいのですが、これも時代の流れなのでしょうね。お寺の名前は、願泉寺と言うそうです。
さらに進むと、今度は立派な神社へ来ました。
案内版があり、見ると「神明天祖神社」とありました。この神明天祖神社は、杉並区南荻窪にある神社で、創建年代は不詳ですが、伊賀人、小林大弁・浅沼但馬守等が天正12年(1584)検地した際に、「草叢の中にすでに小社ありたり」ということから、戦国時代末期には既に祀られていたといいます。元和年間(1615-1623)に香取郡水刀谷の城主水刀谷蔵人影賢が当地に土着し、当社を再建したものの、零落に至り慈雲山光明院が管理していたといいます。百姓当麻六左衛門・梅田紋次郎等が文政元年(1827)に周囲を拓き、荻窪八幡神社の境外摂社としたといいます。 最初は、光明院の下にあり後には荻窪八幡神社の傘下になったんですね。
狛犬が、こちらに向かって吠えているようですよ。
これは手水舎です、ちょっと変わった龍でしょうか?水道のように水を出しています。
ここは神楽殿です、時にはここで神楽の舞を見ることが出来るのでしょうかね。
つづく