今日は、ここから出発だ。
駅から街へと進むと、やや閑散とした雰囲気だ。
近くを流れる入間川もこの通り、
道路沿いの民家の片隅には、こんな稲荷神社の小さな祠もありました。しばらく行くと、
こんな立派な建物がありました。案内書きの立札も立っています。
西洋館と言うのですね。入間市駅北口から徒歩約7分、西洋館は、石川組製糸の創業者石川幾太郎により、大正10年(1921)に迎賓館として上棟された洋風建造物です。映画やドラマ、CMの撮影にもよく使われています。建物外観は、煉瓦調のタイル貼りの外壁と、窓を設けた変化のある屋根に特色があります。館内は、戦後進駐軍に接収され改造を受けた箇所もありますが、全体的に当時の様子を良くとどめています。部屋ごとに特色のある天井や床の造形、照明器具をはじめ、玄関ホールの大理石製の暖炉、一木で作られた階段の手すり、特注の調度品などは、最高級の材と職人の技術を惜しみなく使って作られており、建物としても非常に見ごたえがあります。幾太郎が取引先のアメリカの貿易商を招くに当り、「豊岡をみくびられてはたまらない。超一流の館を造って迎えよう!」と決意したという、その心意気がうかがえるようです。当時の入間市域の繊維業と石川組製糸の繁栄を知ることができるとても貴重な歴史的遺産です。資料によるとこの様でした。
ここを出て、旧石川組製糸西洋館から国道16号線を横切り、八王子方面に3分ほど歩くと、右手にゴシック風の教会、日本基督教団 武蔵豊岡教会が見えてきます。
日本キリスト教団 武蔵豊岡教会(旧豊岡メソジスト教会)は、石川組製糸の創始者 石川幾太郎の弟である石川和助によって設立された教会です。
石川和助は明治19年(1886)にメソジスト派のキリスト教に入信しました。和助の熱心な布教活動は徐々に実を結び、黒須地区(現入間市)にもキリスト教信者が増え、明治28年(1895)、天佑堂(てんゆうどう)と名付けられた教会堂が建てられました。大正時代になると新しい教会堂が切望され、大正12年(1923)、石川幾太郎が女子従業員の礼拝を目的に、当時のお金1万円と教会用地1,000坪を寄付したことで、日本メソジスト教会 豊岡教会が完成しました。教会堂は、アメリカ人宣教師で建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories)の設計によって建てられました。なお、教会裏手には今も天佑堂が並んで建っています。資料を調べた結果、このような建物でした。
つづく
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