次の目的地へと、大泉小学校に沿って前へ進みます。
何やら大きな石碑や燈篭などが集まっている公園のような場所です。
立札もありました。旧大泉村役場跡とあります、旧大泉村役場跡は、練馬区に編入される前にあった大泉村の役場があった場所です。大泉村は、新座郡小榑村(現、大泉学園町・西大泉・南大泉)と橋戸村(現、大泉町)が合併した榑橋村と北豊島郡石神井村大字土支田(現、東大泉)と新倉村長久保が合併して明治24年に成立、大正11年当地に村役場が建設、大泉村が板橋区に編入された後も公共施設として利用されたいたものの、老朽化により昭和54年取り壊されたといいます。明治二十二年(一八八九)町村制の施行で、埼玉県新座郡に属していた小榑村(現、大泉学園町・西大泉・南大泉)と橋戸村(現、大泉町)は合併して榑橋村となりました。同二十四年榑橋村は東京府北豊島郡に編入、同時に石神井村大字土支田(現、東大泉)と新倉村長久保を合して大泉村が成立しました。村役場は初め、ここから西約二百メートルの本照寺隣接の村長宅に設けられましたが、大正十一年(一九二二)新しくここに村役場の建設をみました、翌十二年(一九二三)には武蔵野鉄道東大泉駅(現、大泉学園駅)ができ、村発展のきざしがみられる時期でした。大泉村役場建築記念碑には村長はじめ多数の村民の氏名が刻まれ、新しい期待がこめられています。それから幾年月、板橋区時代、練馬区独立を経て、建物は公共施設などとして利用されてきましたが、昭和五十四年老朽化のため取り壊されました。とありました。
歴史ある場所だったのですね。それでは、村長宅のあった本照寺へと行って見ましょう。
こんな広い道路へ出ました。あれっ、この道路は今話題になっている善行院というお寺につながっている道路ではないでしょうか?
今度は、ちょっとした神社へ到着しました。
稲荷神社と書かれた立札がありました。何という稲荷神社なのでしょう?
練馬区西大泉にある稲荷神社で、堤稲荷神社といい、創建年代等は不詳ながら江戸時代初期頃から祀られていたと伝えられ、当地周辺が小榑村小名堤、或いは小榑村小名四面塔と呼ばれていたことから堤稲荷、或いは四面塔稲荷と呼ばれているといいます。
拝殿奥の覆屋内に建てられている本殿は平成九年三月「西大泉の稲荷神社本殿」として練馬区有形文化財に登録されました。棟札には元治二年(一八六五)銘があり、江戸時代末に建てられたことが判ります。一間社、流造り、銅板葺きの小祠で、彫刻が随所に施されています。渦巻き紋様の大きさなどに当時の建築の特徴が見られます。
本殿へと来ました。境内の広場の割には建物はしっかりしたものですね。
これは、本堂の屋根瓦の装飾です。それでは、小休止してまた出かけます。
つづく
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