三笠市へ行って7年も経っていた。
幌内、幾春別、奔別と巨大な炭鉱遺構がある場所で、1日じゃ見切れない。
この炭坑町にも、また行こうと思いつつまだ行けてません。
暇な時にいろいろ調べてたが、そのなかで幾春別橋(通称コンクリ橋)というのを見つけた。
三笠界隈の人なら普通に知ってる橋でしょうが、私には新鮮な発見でありました。
まあ、ここで調べただけなんですけどね。
大正15年に出来たコンクリート製の橋で、昭和初期には洋風のランタンが備え付けられていたそうです。
場所はここです。
その橋のそばにはアカダモの大木があり、明治20年頃に移住した人々は、このアカダモを目指して当地までやってきたらしい。
調べれば調べるほど、みどころ満載の三笠市でした。
函館からだと片道約300km、往復600km、探訪で50km、日帰り圏です。
水嵩が上がり水没する前に、その界隈を巡りたいな~
桂沢湖一周林道はゲートがあり、万字側の道道1129号線もゲートでした。
行っても書かずにコソッと通ろうかと思案しましたね(笑)
この界隈、トラス橋の宝庫ですから見ごたえありますね。
ちなみに北炭幌内炭鉱音羽抗というか、三笠鉄道記念館からの道道1129号線は、私の行った範囲でゲートありませんでした。
その先は不明ですけど・・・
なんとなく王維の詩を思い出させます。
汶陽(ぶんよう)の帰客(きかく)涙巾を沾(なみだ きんを うるおす)
ってイメージですかね。
王維は、李白、杜甫と並ぶ詩人なんですが、あまり日本ではメジャーではないので、それじゃあ杜甫、
今春 看(みすみす)又(また)過(すぐ)
何の日(いずれのひ)か 是れ 帰年(きねん)ならん
これが出てくればもう牧水ですね。牧水で「幾」と言えば、
幾山河 越えさり行かば 寂しさの
終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく
と、あらぬ方向に話が進んだので軌道修正。
喜びも悲しみも幾歳月
すでにご探訪と存じますが、
小樽祝津の日和山灯台、三笠の帰りにお時間があればいかが?
が、幾春別と漢字にした人はセンスあると思います。
それに引き換え奔別のポンは、なんか卑猥な印象と受止めてしまうのは私だけですかね(笑)
どちらも別が付くのもアイヌ語でしょうし、春に行った歌志内と上砂川も倉本聰氏が悲別と名付けたセンスは素晴らしいと思います。
まあ、別はアイヌ語の『川』ですから、川の名前が土地の名前になってるんでしょうね。
>小樽祝津の日和山灯台、三笠の帰りにお時間があればいかが?
通るとすれば黎明時なので寄っても暗くて見られないでしょうね。
しかも、以前ニシン御殿見学時に行ってました。