1980年に結婚してすんだのは横浜。93年の秋に博多に転勤で行くまでは南区の弘明寺から保土ヶ谷の星川に転居したがずっと横浜に住んでいた。うちの子供は全員本籍はまだ横浜でつまり浜っ子です。
メリーさんというのは横浜の名物おばあさんで白塗りに白いドレスで横浜をうろうろしており、私も何度か見かけたことがあった。
このドキュメンタリー映画というのでぜひ見てみたかった。キット横浜に住んでいない方には全く興味はないと思うし、我が子供たちにとっても無縁でしょうが、、ということでマイカル本牧に出向いた。ここが出来た当時はもうおしゃれな商業施設で外人さんも多くこの辺には居住しているので日本ではまだなじみも薄かったハローウィンなども行ってたハシリの地区だ。
スーパーでは始めての魚の泳ぐ水槽のある対面販売とか当時は鳴り物入りでにぎわっていた。
やはり月日の経つのはこういうことかと、、私も20年年を取れば建物もそれだけ歳を取るのね。とちょっとしんみりするくらい、老朽化していた。マイカルの経営自体も思わしくないとのことだからその影響もあるのでしょうが。
映画は120席ぐらいのうち40人ぐらいはいっていたので「やはりメリーさんは横浜の人には懐かしんだなぁ」と実感。
彼女の映画を一時作ろうと撮っていたが途中で揉め事が起きて頓挫。当時の映像が行方不明とのことで本当に残念だが、元米国将校相手のパンパンの中でも「皇后陛下」とか呼ばれていたメリーさん。五大路子の一人芝居の「浜のローザ」の様子も交えて、良く出来たドキュメンタリーだと思う。オドロキは最後の現在のメリーさんの様子。これはネタばれになるので今は書かないがキット母と同じくらいの歳なんだと実感。
ある意味主役でこの映画に出ている3人のかたが相次いで亡くなっていかれたことも感慨深いが、やはり一つの時代が終っていったのだなと、、ちょっとだけ浜っ子の姫もしんみりした。
メリーさんというのは横浜の名物おばあさんで白塗りに白いドレスで横浜をうろうろしており、私も何度か見かけたことがあった。
このドキュメンタリー映画というのでぜひ見てみたかった。キット横浜に住んでいない方には全く興味はないと思うし、我が子供たちにとっても無縁でしょうが、、ということでマイカル本牧に出向いた。ここが出来た当時はもうおしゃれな商業施設で外人さんも多くこの辺には居住しているので日本ではまだなじみも薄かったハローウィンなども行ってたハシリの地区だ。
スーパーでは始めての魚の泳ぐ水槽のある対面販売とか当時は鳴り物入りでにぎわっていた。
やはり月日の経つのはこういうことかと、、私も20年年を取れば建物もそれだけ歳を取るのね。とちょっとしんみりするくらい、老朽化していた。マイカルの経営自体も思わしくないとのことだからその影響もあるのでしょうが。
映画は120席ぐらいのうち40人ぐらいはいっていたので「やはりメリーさんは横浜の人には懐かしんだなぁ」と実感。
彼女の映画を一時作ろうと撮っていたが途中で揉め事が起きて頓挫。当時の映像が行方不明とのことで本当に残念だが、元米国将校相手のパンパンの中でも「皇后陛下」とか呼ばれていたメリーさん。五大路子の一人芝居の「浜のローザ」の様子も交えて、良く出来たドキュメンタリーだと思う。オドロキは最後の現在のメリーさんの様子。これはネタばれになるので今は書かないがキット母と同じくらいの歳なんだと実感。
ある意味主役でこの映画に出ている3人のかたが相次いで亡くなっていかれたことも感慨深いが、やはり一つの時代が終っていったのだなと、、ちょっとだけ浜っ子の姫もしんみりした。