旧東海道は現在の国道138号線です。平日なのでトラックも多く、そんなに景色も変わり映えしないので松林を抜けて海の見える堤防に出ました。って冷静に慣れない位感動です!
なんじゃぁこれは!!青い海、光る海、松林は時代劇で観る通り、そして青空に真っ白な雪を戴く富士山が立派すぎです(^O^)/
この松原の間はジョギングコースになっているようです。東海道だからと国道を歩くよりは松林や堤防を歩くのが断然お勧めです。
さすがにここは記念写真と思ってお散歩ミドルにお願いしたけど、、撃沈(笑)このおじさまは中央に人を置いて更に富士山のまん前、しかもピントが(-_-;)まぁ良しとしますか。
若者は歩いていないのだから仕方ない。ここまでで10,162歩。気になる錦織選手のイズナー戦。タイブレーク2つとって辛勝したようです(*^_^*)
持参したおにぎりも若干ボケている(笑)本当は堂々と食べたかったけど「ぴーひょろ~」って上に舞ってるトンビが気になったのでささっと食べました。
軽トラのおじちゃんが「どこまで歩くだね?」と静岡弁で聞いてくれて、堤防の海側に番号がふってあるというのを知ったのでそちらに降りてみました。『なるほど』目標の「原駅」まではまだまだありそうです。17番だと東海道線のひとつ前の「片浜駅」よりも手前らしいですが、富士山見ながらご機嫌で歩けます。
帰ってググったら片浜海岸というのは釣りで有名らしく、またこの番号は沼津港から250Mごとに振られているのだそうです。
「秋元水産」工場辺りはカツオのいいにおいがします。「富士11KM」という看板の手前から「日本図書印刷」という会社の敷地が国道沿いずーーーっと広がっていて、会社で昼休みの従業員さんも沢山見ました。「山神社」の向かい辺りの消防署のシャッターに広重様の浮世絵発見(^O^)/
何やら臭いが(笑)してきたので「白隠踏切」を渡ってみました。「原駅」手前の神社仏閣の集まっている地区です。道路も石畳風にしてあります。「松蔭寺」というのは「白隠禅師」が起こしたお寺だそうで、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山と白隠禅師」というほどの方だそうですが、全く知らない静岡県人です(笑)
まぁ百歩譲って「沼津の宝」ってことですかね。「人の往来が激しい東海道の沿道で、時代に即応した禅を広めた僧」として「500年に一度」ともいわれるそうです。
書や画に長けていたとかで大きな文字の看板が目を引きます。
旧東海道に出ると「東海道原宿」のボードが沢山出てきました。スルガ銀行辺りの「白隠禅師誕生地」→原交番交差点手前の「浅間神社」辺りに「原宿」の看板を発見。
「原交番東」交差点過ぎて左側に「昌原寺」が見えたので入っていくと、手前に「帯笑園」の看板があったが工事中の様子で先に奥の「昌原寺」の拝見、帰りにもう一回寄ってみました。
なぜならこんな文言に惹かれてしまったから。「東海道に面した立地条件から、江戸時代には街道を行き交う大名から庶民までが、明治以降も政治家や軍人たちが数多くこの庭を訪れ賞賛している。中でも文政9年(1826)に訪れたシーボルト(ドイツ人医師 1796~1866)は、『日本参府紀行』に「今迄日本にて見たるもののなかにて最も美しく、また鑑賞植物に最も豊かなるものなり」とその美しさを讃えている。」見てみたいじゃないですか。
作業をしていた女性に「お邪魔します」と声を掛けたら、それがここの元の持ち主の奥様で「以前はここに住んでいたのだけどなかなか手入れも大変で沼津市にお渡ししたのだけど、なかなか思うように手入れをしてもらえなくて、、」という事でご自分で草取りしたりしておられたようです。ご主人にも紹介していただき「私も天竜の出身で」という話になったり。
「今頃になって東海道に里心ついてしまってね」と言ったら「戻ってくればいいのに天竜いい所じゃないですか、秋野不矩(ふく)美術館とか、、」ともおっしゃって下さった。「その近くなんですけどね。」という会話もできて嬉しかった。「是非宣伝してください」と言われたのでしっかり書いておきます。
シーボルトが感じたような場所になるように頑張れ沼津市(^O^)/まだまだ見所が続きます。