草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

東海道中膝OK? その3 子安→「神奈川宿」の忘れ物

2016年03月12日 | 東海道53次

キリンの工場からは第一京浜沿いに歩くので歩道も広く歩きやすい。東京方面から「新子安」→「子安」ってのも再確認(笑)「トマトケチャップ発祥の地」も気になる。

    

この辺りで日本橋から26キロ、「東神奈川2キロ」ってので元気が出ます。「遍照院」は寄らなかったけど「参道を京急本線が横切っている。」らしい、、行けば良かったかな(^^ゞ

「浅野学園」ってのは確か神奈川でも一二を争う進学校だったか、ここにあったのね(笑)「小鳥の病院」も珍しい(@_@;)「

    

「入江橋」「浦島町」「亀住町」「浦島丘」ってもう、浦島感満載?です。「オランダ領事館跡」だった「神奈川東公園」辺りからが「神奈川宿」の始まりみたいです。

    

    

おまけに「浦島公園」手前には京急の車両の為の踏切とかもあるし楽し過ぎ(笑)「神奈川新町」→「仲木戸駅」駅間が短いのでもう一息です。気がつくと20,000歩超え。

      

前回先を急ぐあまり、東神奈川駅周辺の神社仏閣は飛ばしてしまったのだけどせっかく戻って来たので一回りしようと思いました。

「良泉寺」は寄れなかったけど 神奈川条約(横浜開港)に基づき外国の宿舎として使用されそうになり、わざと屋根をはがして「修理中」の名目で拒否したってのに「いいね」(笑)

「笠のぎ稲荷神社」は平安時代からで、社前を通行する者の笠が自然と脱げ落ちるということから笠脱稲荷大明神とも呼ばれたって(笑)

     

お目当ての「慶運寺」は神奈川条約(横浜開港)に基づきフランス領事館が置かれた。慶運寺は「浦島寺」とも呼ばれていて、竜宮城で乙姫からもらった玉手箱が慶運寺にあると言われている。とのことで実際に亀の形の丁水場や石碑や亀シェイプの植木もあったけど帰ってググったら「神奈川の浦島伝説」はまだまだ奥が深そう。リベンジできるか?

          

分りにくいが石碑の前の一番左側の白の縞の入った石が、太郎が腰を下ろして過ぎし日を偲んではらはらと涙を流したという「涙石」らしい。今の桐谷太郎さんは浜辺で蛇三線弾きながら唄ってるけど(笑)「潮が満ちてくると湿気を含み、潮が引くと乾くことから浪石とも呼ばれている」ってホント?夢があります(^O^)/

「金蔵院」は閉まっていたが平安時代の創建で徳川家康御手折梅が境内にあるので有名なんだと。近くの「熊野神社」とは親戚関係なのね(笑)「神仏分離令」ってのも不思議な歴史。

    

「成仏寺」は 神奈川条約(横浜開港)に基づきオランダ領事館が置かれた。領事館が長延寺に移ってからはアメリカ人宣教師の宿舎として使われ、ヘボン式ローマ字でも有名な宣教師ヘボンも本堂を住まいとしていた。ってことらしいです。

    

史跡が固まっているので便利です。バカでかい「高札場」ってのもありました。気がつけば20,000歩超えてました。

     

結局今日も昼は食べ損ねたので、東神奈川のコンコースで「空飛ぶ唐揚げ」と神戸屋のパンを買って帰りました。キリンのお土産も一緒に(^O^)/

          

次は「東戸塚」→「藤沢本町」とシミュレーション(笑)まだまだ先は長いがだいぶ歩くのに慣れて疲れも少ない?まぁ今日は平地ばかりだったかな(-_-;)


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